Ⅱ 「価格構成説」評価の転換の真相

あらかじめ断っておく。私は宮川さんの言う「スミスドグマ」を「価格構成説」と置き換えている。

この置き換えがただしいかどうかは分からない。

いちおう、スミスドグマというのを価値分解説→“その逆は逆”という論理→価格構成説という筋立てだと理解して、この論理全体を「価格構成説」と勝手読みしただけである。この読みが正しいか間違っているかは、読み進みながら検討していきたい。

本文に入ろう。

現行版の第2部では、価値「分解」説が厳しく批判されている。ところが第3部ではその原理が受容擁護されている。

だから、『資本論』を順次読みすすめると,第2部で「誤り」と批判されていた命題が,第3部では「正しい」と唐突によみがえることになる。

この不整合は,マルクスの理論発展史をたどることによって氷解する。

1.「価格構成説」評価の転換はいかに起こったか

『資本論』第3部の材料となったのは、1865年執筆の第1稿である。

ここでマルクスは俗流収入論への誘因となった価格「構成」説を徹底批判して退けた。

その一方で,価値「分解」説を「まったく正しい」と評価して積極的に受け入れた。

そして「分解」説を「構成」説批判の後ろ楯として利用した。

しかし、15年後執筆された第8稿では,「分解」説もまた誤りである、という結論に達した。

そして価値分解説と価格構成説からなる「資本-収入転化」論の全体を否定した。

なぜなら、「商品価値は,それ以上のものには分解されず,それ以外のものから成り立ちはしない」からである。

その真意については後ほど触れるそうなので、わからないままで進むことにする。

2.マルクスの評価転換の実証

しばらく理解しがたい言葉が並ぶので自分なりに読み下す。

スミス古典派をはじめ従来の経済学(J.B.セー,シスモンディ,プルードンら)は,資本と労賃収入とのあいだの関連づけをめぐって、共通する理解を示した。

それを宮川さんは「資本-収入転化命題」と呼んでいる。言葉なのでどうでもよいのだが…

その特徴は、「分配関連の貨幣媒介現象を皮相的に写し取ったにすぎない」のだそうだ。

ある者にとって収入であるものは他の者にとっては資本であるという考えは,部分的には正しいが,一般的に提起されるやいなや,まったくの誤りとなる。(第8稿)

のだそうだが、その理由はここでは触れられていない。

このあと論旨が少し跳んでいるが、マルクスは当初、この「資本-収入転化把握」を受け入れている。

宮川さんは、その証拠として

第3部第7篇草稿(すなわち1864~65年執筆の第1稿)で、「資本-収入転化把握」の受容を表出した章句が17箇所みとめられる。

第2稿(第2部第2篇)でも同様の所見が認められる。

と数えている。えらいものだ。

第8稿での批判は、先に引用した如し。

3.エンゲルスによる混乱の助長

また私の感想から入る。

考えてみれば、第1稿をそのまま第2部、第3部にして発刊してしまえばよかったのだ。

そのうえで、「第2部については後年このように書き直している」と断った上で、補巻として発表すべきだったのだ。断絶があるかないかは読んだ人が判断すればよい。

そうすれば、第8稿の線に沿っていずれ第3部も書き直されるはずだっただろうと、誰しも理解できる。

そしてそのことを念頭に置きながら第3部を読み込むことになっただろう。

ということで本文に戻る。

まずは第3篇第19章「対象についての従来の叙述」

ここでなにかエンゲルスは細工をして、古いテキストの中に第8稿を入れこんだり、順序を変えたりしているらしい。

その結果,異なる認識水準層の章句が入れまじり、ジグザグにまだら模様に叙述文脈を形づくることになってしまった。

そしてその後に宮川さんの中間結論が述べられる。

かたちを顕してくるのは,

① 第8稿冒頭まで払拭できずに受け入れてきた古典派の「資本-収入転化把握」との決別であり、

② その批判による価値「分解」説の終局的批判である。

こうしてマルクスは価格「構成」説だけでなく、それを「もっともらしく」支えている価値「分解」説の誤りをも摘出した。

そして価値-再生産論の認識の新しい「拡大した視野」を切り開いた。

ただしこの最後の段落でいう「拡大した視野」は目下不分明である。