ロシア音楽の年表でいろいろ地名が出てきますが、どうもピンときません。
少し勉強してみました。
江戸時代もそうなのですが、俗に「偉人」という人の多くは地方出身です。地方の小エリートが都会に出て勉強し偉くなっていくというのが、この時代(封建時代)の特徴のようです。なぜそうなのか、よくわかりませんが、地方には独自の文化があってその土壌が「偉人」たちを育んだのかもしれません。地方の疲弊は国の文化の多様性を失わせ、国を衰退に導いていくのかもしれません。

それはともかく、地名を地図で探すのですが、著作権の関係なのかまともな地図にヒットしません。グーグル地図は美しくないのですが、地名検索にはこれを使うしかありません。

とりあえず全体が分かる地図を掲載します。(画面上をクリックすると拡大されます)

Russiamap

RUSSIA - EUROPEAN REALM

というサイトからの転載です。

19世紀の地図も探しています。

ありました。

Russland und Scandinavien (Russia in Europe and Scandinavia), 1873

という地図で、ありがたいことにラテン文字表記です。

15 Mb  9345x7606 px

というすごい画像で、光通信でもダウンロードに数分を要します。(ロシアのサイトなので、向こうの問題かもしれない)

こちらは細切れにして紹介します。

1.ヴォトキンスク

まずはチャイコフスキーの生まれたヴォトキンスク。ウィキには次のように紹介されています。

ウドムルト共和国の首都イジェフスクの北東50キロメートルに位置する。カマ川の支流ヴォトカ川が流れることからヴォトキンスクという。

これって分かりますか。

ヴォトキンスク

これがグーグル地図です。ボルガ河畔のカザンから東北東に直線で300キロ、東京―名古屋くらいです。

道路事情にもよりますが、馬車でも5日間でしょうか。

このヴォトキンスク、1873年の地図には名前すら載っていません。相当山奥の田舎町だったようです。

もともとこのあたりはウラルの山の中で、フィン人系の先住民が住んでいましたが、鉱山が発見され、18世紀末からロシア人が入り始めたようです。

チャイコフスキーが生まれた1840年ころには文化のブの字もなかったと思います。

現在ヴォトキンスクは人口10万を数えますが、これは第二次大戦中に重工業がウラル山中に疎開したことがきっかけになっています。戦後は弾道ミサイルの生産拠点となっており、アメリカの監視要員が駐在していたこともあったようですが、その後追放されたとの報道もあります。

最近は人口減少の兆しもあり、前途はなかなか多難と思われます。


いろんなページからチャイコフスキーのボトキンスクでの生活を辿ってみます。

ボトキンスクは鉱山の町で、父イリヤは鉱山で政府の監督官をつとめる貴族でした。といっても、家系的にはウクライナ・コサックの出で、医師であった祖父の努力によって、貴族に叙せられた家系です。

母アレクサンドラはフランス人の血をひく女性で、先妻が死別したための後妻です。アレクサンドラの祖父はフランス革命をさけて亡命してきたフランス人の貴族でした。

母はチャイコフスキー自身が近寄りがたいと思うほどの美人で、フランス語とドイツ語が達者な教養のある女性でした。ピアノも弾き、プロの歌手ではないけれど素晴らしい美声の持ち主だったといいます。

チャイコフスキーが幼い頃は父の稼ぎも良く、彼が4才の時フランス人女性を住み込みの家庭教師として迎えます。ファニー先生は勉強を教えるだけでなく、世界の歴史や童話や易しい小説を読んで聞かせ、いつも側にいて優しく見守ってくれていました。

モーツァルトのオペラやシュトラウスのワルツが大好きで、覚えた節を自分なりにピアノで弾いたりするなど音楽的才能はあったようですが、特別教育を受けた様子はありません。

彼は7歳でフランス語による詩を作り、オルゴールを聞いて一人泣いているような子どもだった。(Rimshotさん

8歳のときに一家でモスクワに出たあと、ボトキンスクに戻ることはなかったようです。

0~8歳までの時期というのは、強烈な印象を残しているものと思いますが、直接ボトキンスクの思い出を題材にした曲というのはないようです。