櫛田豊 「労働力商品への価値法則の適用と 労働力価値内在説の展開」 を読みはじめる

森谷尚行先生にそれとなく急かされて、読むはめになった。

まずは題名を見ての第一印象。

正直のところ、のっけからうっとうしい。
1.人間的諸活動と人間的諸能力

経済学的な概念操作としては、労働力も労働力商品も正しいのだが、それら人間まるごとの生活を表現するものではない。

より豊かに、より幸せになろうとする諸活動は、そのすべてが労働の枠にくくれるものではない。そしてそれらの諸活動に対応して養われる人間的諸能力も、労働力の枠にくくれるものではない。

人間的能力のうち勤労能力(戦闘能力と並んで)が取り出され対象とされるのは、社会の誕生、とりわけ階級社会の誕生以来である。
2.人間商品から労働力商品へ

当初、勤労能力はそれが属する諸個人をまるごと含めた「人間商品」(奴隷)として売買された。「労働力」が商品化されるためには、勤労能力をふくめて抽象的なものへの価値付け、数量化が必要である。そのためには、ありとあらゆるものが商品化され莫大な量を持って取引される市場が必要である。

このようなユニバーサルな諸市場、潤沢な通貨供給(とくに新大陸から)、そして経済社会構成体内部での分業の発展の3つを基礎に、産業資本が自立的に登場していくのである。
3.「価値法則の適用」はすでに行われている

前置きが長くなったが、「労働力商品の価値法則の適用」はすでに行われているのである。「人間商品」(奴隷)から労働力商品への転換は、価値法則の適用無くして実現しないと思う。
「価値法則」についての私の理解が不十分かもしれないが、歴史的に考えれば、生産過程に価値法則が適用されたからこそ人間的諸能力から勤労能力が取り出され、労働力として措定され、さらに商品化されると見ても良いのではないか。

浅学ながら、私にはそう思えてしまうのである。

後段の「労働力価値内在説」はよく分からない。おそらく前段の「労働力商品への価値法則の適用」によってもたらされる結論なのだろうが、前段について不承知だから多分読んでもわからないだろう。

最初から分からないだろうと思っている論文を読むのは「いささか辛いな」と考えているところである。