生物の系統樹を見ると、生物の進化には二つのフェイズがあることが分かる。

一つは文字通りの進化で、一つの種が多様化と大型化を伴い、一世を風靡する。

もう一つは種の変化・交代を伴う進化である。
一つの流れが行き着くところまで行き着いて、爛熟するとともに、進化の壁を超えられなくなってしまい頭打ちになる。いわば進化なき多様化である。

そのときに、これまで傍流だった種類の生き物がまったく新たな形で登場し、これまでにない仕組みで状況に適合し、先行者を押しのける形で発展する場合である。

それは個別の種ではなく、「統合的生態系」の進化と言えるかもしれない。生物界全体を一つの概念として捉える観点からの「生物の進化」である。

これが進化の基本であるが、それとは別に地球環境の激変に対する適応という課題がある。

生物はこれまで数次にわたる絶滅の危機を迎えている。もっとも劇的だったのは恐竜の絶滅であるが、それより以前、数次にわたり全球凍結の時代があったとされる。

それは内的必然に伴った発展・進化ではないが、ある意味で、生物・無機物をも抱合した「地球という天体の46億年にわたる成長の歴史」であるのかもしれない。

そこで、種の交代を伴う変化の時代をあとづけてみよう。

1.原始生命体(プロトビオント)→共通祖先

ここの転化は分からないが、細胞膜の完成、解糖系の完成、RNA→DNA、セントラルドグマの完成、…などが継起したものと思われる。

2.共通祖先→真性細菌

とくに葉緑体を取り込んだ藍藻が大繁殖することにより地球の大気組成を大きく変化させた。いま流行りのM&Aである。

3.古細菌(アーキア)の復活

真性細菌の繁殖により傍流と化した古細菌が、核膜を作り出すことにより、真核生物となる。アーキアは細胞内に真正細菌を取り込み、ふたたび主流となる。

これには気象学的変化が背景となっていたかもしれない。

4.多細胞生物の出現

葉緑体を持つ多細胞生物は植物となり、独立生物として発展する。

この時点では従属栄養の多細胞生物は少数で、寄生的な存在であった。

5.肉食動物の出現

従属栄養の多細胞生物は、寄生的存在から独立し、「動物」となり、植物・植物プランクトンをみずからのものとすることで生活するようになった。

それは海綿から発達して三葉虫、甲殻類となるに及んで大繁殖を遂げた。

これに応じて動物をエサとする動物が出現した。軟体動物である。彼らは発達した神経・運動系を持つことで、動物を獲得できるようになった。

6.陸上への進出

海藻が発生する大量の酸素がオゾン層を形成し紫外線を遮るようになった。

この結果地上での生活が可能となり、まず植物が地上に進出した。

ついで甲殻類が気門を獲得し地上に進出する。いち早く上陸した彼らは昆虫類となり、天敵のいないもとで大繁殖する。

7.魚類(脊椎動物)の出現

海中動物の世界では甲殻類、軟体動物の反映の陰で脊索動物が発生する。

幼生時のみ脊索動物の形をとるホヤから、一生変態せずに生きるナメクジウオが生まれ、さらに脊椎動物に近づいたヤツメウナギ、サメの仲間、そしてついに魚類が登場する。

8.脊椎動物の上陸

魚類はその並外れた運動能力によって海中の王者となった。甲殻類は隙間で生き延びる存在に過ぎなくなった。

そして、陸に上がった昆虫を追って脊椎動物も陸上に上がることになる。5億年前に植物が上陸して以来、この3つの出来事はわずか1億年で成し遂げられた。そして「食物連鎖」あるいは「弱肉強食」という、まことに一方的で理不尽な世界がこの世に出現することになる。

昆虫と脊椎動物は同じ動物、同じ生命維持機構でありながら、支持構造も神経システムも陸上への適応過程も、まったく異なっている。

何よりも両者は否応なしに“追うもの”と“追われるもの”の関係に立つ。したがって追うものは圧倒的な大きさを欲するし、追われるものは逃げるスピード(とりわけ飛翔能力)、圧倒的な種の生産力を欲する。

以降の動きは省略するが、言いたいことは、生物の進化は一直線ではなくかなりのジグザグを経ていることであり、むしろジグザグこそが進化の本質だということである。

エンゲルスはこれらの現象を「量から質への転化」、あるいは「否定の否定」という言い方で表現している。基本的には正しい表現ではあるが、何かもう一つ物足りない。乗り越えるという感じが出てこないのである。
というか、ヌーベル・バーグNouvelle Vague

(エンゲルスのいう“量から質への転化”はこの事象のヘーゲル的単純化である)

いわばイノベーションでなく主客の交代を伴うレボリューションということになる。“破壊的イノベーション”という言葉もあるが、自分勝手な自家撞着である。必要なのは“新しい革袋”なのだ。