1.度肝を抜く生々しさ
1500年前の事件なのに、えらく生々しい。日本書紀は事細かに描いている。
しかし書かれた時点からは50年も経っていない。おそらく関係者の何人かは現存していた状況で書かれたものであろう。
細部の精密さに目を奪われて、「壬申の乱」とは一体何だったのかが、ともすれば見失われ勝ちになる危険がある。
2.本質がまったく語られない記述
形態は内乱だが、本質的にはクーデター、ないし宮廷革命であろう。権力の形態はまったく変わっていない。新たな支配層が登場したわけでもない。
大半の人にはどちらでも良い戦いだ。
かといって、家督争いとか、現政権の不満が本筋だということになならないと思う。
もしそうであれば、権力交代は多少の自由化をもたらすであろうが、実際には権力の極端な集中化と軍事化がこのクーデターの帰結だ。
3.危機感を背景にしたクーデターではないか
統制経済、地方への官僚支配の浸透などはまさに戦時体制を思わせるものだ。
戦争に備えるとはどういうことか。それは唐との対決をおいて他に考えられない。
百済が滅亡し、高句麗が滅亡した。次は日本だという恐怖感はおそらく強烈なものであったに違いない。
そして唐の砲艦外交に屈することになれば、属国化は避けられない。天智の変節、そして大友皇子の弱腰外交は許されない、というのが天武を突き動かした最大の動機ではないか。
4.白村江の評価
多くの著書には白村江の敗北とその後の防衛強化が重税をもたらし人々の不満を高めたという風に書かれているが、はたしてそうであろうか。
例えば、朝廷から反天武の戦争に動員をもとめられた九州の大宰府は、日本防衛に手一杯で兵は割けないと断っている。
「そんなことやっている場合かよ!」という怒りの声が聞こえてきそうだ。
ただしそれが正しかったかは判断の限りではない。
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