田中美保さんの論文はかなりの衝撃だった。

以前作成したケルト人の歴史年表(2014年01月22日 ケルト人について)が全面否定されたことになる。もっともそれは私の責任ではないが。

「ケルト人について」は主としてウィキペディアからの知識によって書かれているが、

(イギリスでは)そもそもケルトという区分け自体を疑問視する声も挙がりつつある。

こうした批判は古代ブリテン史をいわば自国の歴史に書き換えようとする動きとしてフランスなどの学者からは批判に晒されている。

それに対してイギリスの学者からは古代ケルトを統合欧州の象徴に据える作為だとする反駁がなされるなど、国家間の政治問題と化している感がある。

と引用している。

ウィキは明らかに「ケルト人存在説」だ。イギリス人がごねているようにみえる。

しかし実情はそんなものではない。Y染色体ハプロタイプが明らかに中央ヨーロッパ由来説を否定しているのだ。
さらに衝撃的なのは、アングロサクソン人を自称するイングランド人さえ、遺伝学的には「ケルト人」なのだということ。アングロサクソンは先住民を虐殺したり駆逐したのではなく、その上に君臨したに過ぎないということになる。

問題は、「Y染色体ハプロタイプ」を信じるか否かにかかってる。私には「もはや勝負はついた」としか思えないが。

なおスペイン北部と聞いてバスクを思い起こす人もいるだろうが、バスクと「ケルト」は明らかに異なる。


この話を知って、私はすぐに縄文人のことを思い起こした。

Y染色体の示すところ、縄文人が北から日本列島に入り、沖縄をふくむ全土に分布したように、「ケルト人」はスペイン北部から海岸沿いに北上しブリテン諸島をふくむ西ヨーロッパの海岸沿いに分布した。

時期は縄文人より遅れ、新石器時代に入ろうとする頃であった。それ以前にそれらの土地に旧石器時代人が先住していたとも言われる。

Y染色体で見る限り中央ヨーロッパ人とは違う人種である。ケルトという人々が

紀元前の時代のギリシア人が、アルプスの北側に住む人々をさして、そう呼んだ

のだとすれば、スペインから北上した人々は、語源的には「ケルト人」ではない。

多分、19世紀の時代の物知りが、ギリシャの古い書物から見つけ出したのであろう、と想像される。

いずれにせよ、非アングロサクソン系の「大西洋型ハプロタイプ」人が紀元前後までは広く居住していて、そこに最初はローマ帝国、ついでゲルマン系の人々が侵入してきたわけだ。

数々の侵入を受けたあとも、「大西洋型ハプロタイプ」は現在に至るまでブリテン諸島人のY染色体の多数派を占めている。

これも縄文人の血が濃く受け継がれる日本と共通するものがある。

イングランドでさえ、64%が「大西洋型ハプロタイプ」であるにもかかわらず、彼らはみずからをアンゴロ・サクソンと信じている。

これは東北縄文人(エミシ)が大和文化に完全に同化して、みずからを生粋の日本人と思っているのと似ている。

そして同化しなかった(しえなかった?)人々がアイルランド人、ウェールズ人、スコットランド人として取り残された。これもアイヌ人の運命と一種似通ったものがある。