残念ながら、日本語のテキストが圧倒的に不足している。

目下のところは乏しい資料の中から読み解いていく他ない。

1.オランド「左派政権」の自壊と極右の伸長

リベラル勢力の希望を担って船出したオランド政権だったが、就任していきなりのリーマンショックはあまりにも過酷だった。

結局のところ、オランド政権はEUとECBの言うなりに、厳しい経済引き締め策を担わざるを得なかった。政権の実行したことはすべて就任時の公約と逆方向であった。そして逆コースの先頭に立ったのがほかならぬマクロンであった。

政権末期、オランド政権の人気は地に落ちた。昨年の10月行われた世論調査ではオランドの支持率はなんと4%に過ぎなかった。メディアは「4%の人」と揶揄した。

一方で不満層を取り込んだ極右、ネオファシストの人気はうなぎ昇りとなった。

14年の欧州議会選挙は衝撃的だった。国民戦線は25%の得票を獲得し首位となった。その後も各種選挙で25%前後の得票を維持し続けた。左翼はもっとも依拠すべき人たちの支持を失った。

貧困層、労働者・農民などかつて左翼の強固な地盤だった階層が極右に雪崩を打って流れ込んだ。それはアメリカ中西部の「錆びたベルト」地帯の労働者が、一転してトランプの強固な支持者となったのと同じだった。

彼らは絶望のあまり敵を味方と取り違えたのである。

オーストリアでもオランダでも、極右が政権獲得の勢いを示した。今や欧州を極右、トランプ派が席巻しようとしていた。

2.「野党共闘」の兆し

16年11月、大統領選挙を半年後に控えて共産党のロラン党首は思い切った方針を打ち出した。社会党を離れ独自会派「屈しないフランス」(ラ・フランス・アンスミーズ)を結成したメランションを推すことを提起したのである。

それはファシズムの再来に対する深刻な危機意識の表現であったが、現場活動家にはそれは浸透しなかった。これまで通り一次選挙は独自候補で戦い、決選投票で社会党を支持すればよいという経験主義が未だ多数を占めていた。

ロランは統一の提案が全国活動者会議で否定されたあと、活動者会議の頭越しに全国討論を呼びかけ、最後は全党員投票を経てメランション支持を実現した。

これを元に共産党はメランション派と交渉し、大統領選での協力が実現した。これはファシズムを瀬戸際で食い止める上で大変重要な役割を果たしたと思う。メランションが第一次投票で20数%を獲得することがなければ、マクロンを国民的候補として決選投票に臨むことはできなかったろうし、もしそれができなければ今頃ファシズム政権が誕生していたかもしれない。

今年1月 オランド政権の与党、社会党が大統領候補の予備選を行った。ここでは党内左派のアモンが勝利した。ここで社会党は恥の上塗りをした。党首のヴァルスがマクロンを支持すると発表したのである。

アモンはメランションとの1本化の話し合いを試みたが不調に終わった。如何に党内左派といえど、さすがにA級戦犯である社会党と組むのは不可能である。

共産党とメランション派は、オランドが投げ捨てた国民の要求を実現するために、統一して闘った。メランションと野党共闘は若者の受け皿となった。しかし左派政権の裏切りに対する国民の幻滅は深く、その多くが極右へと流れた。

3.大統領選挙

4月に大統領選挙の第一次投票が行われた。財界を代表する共和党のフィヨンは本命と目されたが、スキャンダルが祟り票を伸ばすことができなかった。これに代わり保守系無党派の新人エマニュエル・マクロンが1位を占めた。

マクロンは若いだけではなく超富裕層でもあった。社会党政権で経済相(非党員)として抜擢され、グローバリズム政策を推進した。オランド政権変質の張本人である。富裕層は不安を持ちつつもマクロンに期待した。

これについで極右の国民戦線のルペン候補が2位につけた。得票率はマクロン24%に対しルペン21%と接近していた。恐れは現実となりつつあった。

注目すべきは、左翼に圧倒的な逆風が吹く中で「左派統一候補」のメランションが19%を獲得したことである。フィヨンに僅差の4位ではあったが、ルペン・フィヨン・メランションが20%前後の得票率で肩を並べたことは大きな意味がある。一方社会党のアモンは6%という惨敗であった。これにより左派を代表する勢力が社会党から左派統一に交代しつつあることが示された。


支持率推移

今年1月から第1次投票までの支持率の推移。NHKのサイトから転載。
メランション(赤)が社会党(黄)を追い抜いたのは3月下旬のことである。左派の共闘が大きく情勢を切り開いたことが分かる。
4月下旬になってマクロン人気が落ちた時、危機感からメランション支持がマクロン(橙)に移ったことが示されている。

決選投票での最大の問題事はファシストの政権獲得の可能性である。彼らは「保守主義者」のポーズでファシストとしての顔を隠した。選挙演説では「右も左も結集しよう」とさえ呼びかけた。

しかし多くの国民はそれを見逃そうとはしなかった。それが決選投票での圧倒的な票差となって示された。「ルペンに対する防御壁」となったマクロンは、第一次投票での24%から66%にまで跳ね上がった。これに対しルペンの得票は35%に留まる。

フランス共産党からサルコジ元大統領まで、左派労組の労働総同盟から財界団体まで反極右では一致した。マクロンに投票した有権者の43%は、ルペンの大統領選出を阻止するためだけに投票したという。

おそらくファシストを撃退したと言っても有権者のあいだに勝利感はないだろう。それが政治を良くする引き金になるわけではないし、ルペンの掲げた「反移民・反EU」のスローガンにはかなり同感する余地もあるからだ。

不気味なのは、ルペンが逆風の中で第一次投票から15%も上乗せしたことである。これはコアーなファシズム支持者の他にそれと同じくらいの消極的支持者がいることを示している。投票前の世論調査では最大41%を叩き出している。

4.国会議員選挙

今回、フランス国民は4回も投票しなければならない。大統領選挙の第一次投票と決選投票、それに国会議員選挙の第一次投票と決選投票である。

国会選挙が2回の投票とあるのは小選挙区制のためで、一回目が各政党で順位を競う。そして第1位と第2位の間で決選投票を争うのである。ただし1回目の投票で誰かが圧倒的な支持を集めれば、2回目は行われない。

共産党は第一次大統領選の結果をみて、強い危機感を抱いた。このままでは決選投票にも進めないと危惧したのである。

しかしこれにはメランションは応じなかった。1本化は2次選挙のときにやれば良いと主張したのである。たしかにこれには一理ある。もちろんメランション派が決選投票に残れると踏んだからではあろう。しかし「野党は共闘」こそがメランションの力の背景だということを、メランションは過小評価したのではないだろうか。

6月11日に国会議員選挙の第一次投票が行われた。ほとんどの議席は第一次投票では決せず、j決選投票に持ち込まれた。国会議員選挙はマクロンの一人勝ちであった。

マクロン旋風の原因は、①極右に勝利したヒーローとして期待されたこと。②二大政党制への不信が浸透したことである。ただし小選挙区制のマジックで増幅されたこともある。

左派陣営ではメランション派が多数を占めたが、それでも得票率は11%にとどまった。得票率30%に圧したマクロン旋風に太刀打ちすることはできなかった。共産党は2.7%にとどまった。

大統領選挙でメランションに吹いた風は止まってしまった。記録的な低投票率(棄権が51%)は、とりわけ若者を中心とするメランション派に“選挙疲れ”が出たことを示している。

国会議員は小選挙区であり、伝統や個人的人気なども無視し得ない。大統領選では惨敗した社会党も7.4%を確保している。状況はより困難だからこそ、風頼みではなく政策をしっかりと示し、野党共闘をイメージアップすることがより求められるのではないか。

6月18日に第二次投票が行われメランション派の17議席、共産党の10議席が確定した。

マクロン派     361議席

共和党       126議席

社会党        46議席

メランション派    16議席

共産党        10議席

国民戦線        8議席

国民戦線の議席数は、もともとドブ板選挙を不得意とする上に、大統領選挙での敗北の痛手が大きかったのではないか。共産党の得票率と議席数が乖離してるのは、相当選挙区を絞り込んだためではないだろうか。(情報なしの推測)

5.投票傾向の分析

選挙結果に関するおもしろい分析が提示されているので、紹介しておく。

階層別支持

 

 階級における政治からの「肉離れ」、ないし「原理派」化が見られる。国の民主主義の構造が下から崩れ液状化しつつある。比較的社会保障や労働者保護が浸透しているとされるフランスですらこういう危機的状況になっている。今や格差の進行は文明を揺るがしかねないところにまで進んでいると見るべきであろう。

これを食い止めるにはイギリス総選挙終盤での闘い方、弱者を保護し教育、医療などでポジティブな政策を明確に打ち出すこと。格差是正への方策を、国際的な協力での解決もふくめ明確に打ち出すことであろう。

今回のイギリス・フランスでの選挙はいずれもEU問題が俎上に上げられたが、ルペンの終盤での発言でも明らかなように、逆にこの問題で後戻りはできないことが明確になったと思う。

同時に、リーマンショック→欧州金融・財政危機で反人民的性格を強めたEUを、どうやって諸国民の立場に立つように変革していくかがもとめられることになるだろう。