「ロシアのショパンたち」 ピアノ小曲百選  改訂増補版 その3

2017年07月15日

カリンニコフ 1866年~1901年 

カリンニコフはこれまでの作曲家とは異なり、無産階級の出身(父親は田舎巡査)である。

1884年にモスクワ音楽院に進むが、学費を納入できずに数ヶ月で退学した。

その後モスクワ・フィルハーモニー協会の音楽学校で勉学を続けた。食うために忙しかったらしい。卒業したのは8年後のことだった。

92年にチャイコフスキーに認められ歌劇場の指揮者に抜擢されるが、ほどなく結核が悪化し断念。その後は死ぬまで保養地を転々とした。

ラフマニノフも出版を斡旋するなど生活維持に貢献したと言う。

以下の3曲はいずれも療養中のものである。

67 悲しい歌 1893

5拍子の短い歌。カリンニコフのピアノ曲としては最も知られているかもしれない。「雨降りお月さん、雲の上」と同じメロディである。

68 エレジー 変ロ短調 1894

この人はおそらく上流階級が持ち合わせない、ロシア的なメロディーを体に染み込ませていたのではないか。

それをうまく使いこなす技法を音楽学校で学んだのだろう。何分にも情報が少なく、感想的なことしか書けないが。

69 ワルツ イ長調 1894

しゃれたワルツだが、中間部はちょっと泥臭い。この曲まで入れる必要はなかったかと、ちょっと後悔している。

 

レビコフ 1866年~1920年

70 Op8_9 マズルカ イ短調 

おそらく毀誉褒貶、相半ばする人だと思う。私はたとえスベニール曲の作家であるにせよ、もっと位の高い人だと思うが。

モスクワ大学哲学科を卒業。モスクワ音楽院にも通ったことがあるらしいが、主たる勉強の場はベルリンとウィーンで、国内の作曲家の人脈とはあまり接していない。これが人気の上がらない原因かも知れない。

メロディーは大変美しい。ただ曲作りがきわめてシンプルなだけに、演奏する人の思いや手腕によってまったく印象が変わってくる。旅回り一座の台本みたいなものだ。

この曲は強弱とルバート、テンポの揺らし方が命の曲である。

71 Op10_8 ワルツ 小さなワルツ ロ短調

これも同様のことが言える。とにかくメロディーの美しさには心奪われるものがある。

72 Op10_10 ワルツ ロ短調

上に同じ。

シェルデャコフ盤をお勧めする。ソメロは勧めない。金正日顔が気に食わない(と言うのは冗談)。レビコフは無調音楽の方に興味があり、先駆的な試みをしている。ソメロはその種の曲の方に興味が向いているようだ。

73 Op21 クリスマスツリーよりワルツ 嬰ヘ短調

レビコフの同様の曲の中ではもっとも有名な曲で、比較的演奏される機会も多い。

74 Op29_3 秋の綴りから コン・アフィリツィオーネ

この曲はモスクワ室内楽団の弦楽合奏版が良い。

まぁ、この5曲を続けて聞いたら、理屈は不要になる。

75 秋の花々_1 モデラート

この曲集には作品番号がない。

76 秋の花々 アンダンテ

最後の2曲は多少落ちる。しかし雰囲気はある。

本来ならValse Mélancoliqueを入れなければならないのだが、どうも住所がよく分からない。作品2説と作品30説がある。

シェルデャコフのCDは、3枚組のくせに作品2も作品10も作品30もふくまれない。クソ欠陥品であるのか、真偽に疑いが持たれているのか。

当面真偽がはっきりするまではベスト100入りは保留する。

 

スクリアビン 1872年~1915年

77 Op1 ワルツ ヘ短調 1985

作品番号1をこの単品のワルツにつけた理由はよく分からない。

84年(12歳)からズヴェーレフの音楽寄宿学校でラフマニノフらと共に学ぶ。モスクワ音楽院への正式入学は88年だから、習作に近いものだろう。

これと言ったひらめきは感じられないが、よくできたきれいな曲である。

78 ワルツ 嬰ト短調 1886年

作品番号はついていないが作品1の翌年の曲である。はるかに魅力的である。こんな曲は一生のあいだに何曲も作れるものではない。

79 Op2 3つの小品 第1番 練習曲 嬰ハ短調 1887

これはスクリアビンの最高傑作(の一つ)であり、ロシア・ピアノ音楽の最高傑作の一つである。すでにショパンを越えている。

この時スクリアビンは未だ15歳。モスクワ音楽院にも入っていない。もうやることがないではないか。

80 Op3 10のマズルカ 第1番 変ロ短調 1988

作品3は音楽院に入った年から翌年にかけて作られた。すべてが良いのだが、ここでは3曲をえらんでおく。

81 Op3 10のマズルカ 第3番 ト短調

ショパンのマズルカの基準をしっかり守り、マズルカとは何かというところまで踏み込んでいく。

どうでもいいが、スクリアビンが信頼したと言われるフェインバーグの演奏はかなりマズっている。この人のバッハ・平均律を聞けば、羽目をはずしたロシア人が何をするか良く分かる。

82 Op3 10のマズルカ 第6番 嬰ハ短調

リャードフもショパンの真似は非常にうまいが、しかしスクリアビンはモノマネではなく。ショパンになりきり、それをどう発展させるかと考えているように見える。

ある意味怖いところがある。

83 Op8 12の練習曲 第1番 1894

作品3からいきなり6年跳ぶ。

この間いろいろあった。もう音楽院は卒業している。Rコルサコフやベリャーエフの知遇を得たと言うから、ペテルブルクに出たのか。

そして92年に猛練習の結果、右手首を傷める。

相変わらず音はクリアーなのだが、どうもピアニズムの方に行ってしまったようだ。

音はさらに多彩になり、リズムは細かく刻まれる。はたしてそれがショパンの本質なのか。

84 Op8 12の練習曲 第12番 嬰ヘ短調 悲愴

12の練習曲の最後は、ショパンなら「革命のエチュード」である。スクリアビンもそれに従って、それっぽい曲を作った。

85 Op9 2つの左手のための小品 第1番 前奏曲 嬰ハ短調 1894

右手首を故障したスクリアビンは左手で練習を続けた。

その時の作品がこれである。

86 Op9 2つの左手のための小品 第2番 ノクターン 変ニ長調 1894

作品9はたんなるゲテモノではなく、スクリアビンを代表する作品の一つとなっている。

87 Op11 24の前奏曲から第11番 ロ長調 1895

24の前奏曲は数年がかりで書き溜められて97年に発表されているが、この曲は95年のもの。

美しく屈託がないが、このような雰囲気はその後影を潜める。

88 Op12_2 即興曲 アンダンテ・カンタービレ ロ短調

アンダンテ・カンタービレとは言うものの、あまりカンタービレしない。

この曲のあと、次第にスクリアビンは非ショパン化、断片化、無調化していく。そして奇しくも、喧嘩別れした師アレンスキーと同じ43歳で死んでしまう。以降は割愛する。

スクリアビンの病跡学についての和文献はネット上には見つからない。多分統合失調絡みと思うが。
もう少し探してみる。

 

ラフマニノフ 1873年~1943年

89 Op.3 幻想的小品集 第1番エレジー 変ホ短調

ラフマニノフは没落貴族の息子で、父親とは生き別れた。ペテルブルクの音楽院の予科に入るが、素行不良で放校となり、モスクワ音楽院に横滑りした。

そこでも、ピアノ教師がスパルタ式だったことからケンカ別れしている。優等生のスクリアビンとは対象的である。

幻想小曲集は1892年、19歳の作品である。この人が作品番号を付けるのは割りと遅く、卒業制作のピアノ協奏曲第1番が作品1となっている。

それより前からかなりの作品があるようだが未聴である。ただ、スクリアビンが統合失調なら、この人は典型的な双極性障害であり、だめな時はだめだから、意外と大したものはないかもしれない。

この曲はのっけからラフマニノフ節炸裂である。冗舌なのも最初からのようである。

90 Op.3 幻想的小品集 第2番 前奏曲 嬰ハ短調

ピアノ曲の中でもっとも有名な曲。クレムリン宮殿の鐘の音がモチーフになっている。

ヨーロッパやアメリカでラフマニノフの名を一気に高めたと言う。

まぁショパンではないな。

91 Op.5 組曲第1番「幻想的絵画」 第4曲 ロシアの復活祭 ト短調

これまたド派手な曲で、2台のピアノから繰り出される音量は凄まじい。アックスとブロンフマンという肉体はコンビで聴くと、その迫力に圧倒される。

93年の初演で、チャイコフスキーに捧げられている。しかしその直前にチャイコフスキーは急死している。

本筋とは外れるが、チャイコフスキーの死を悼んで作られたピアノ三重奏曲は、ラフマニノフ最高の傑作である(と思う)。

92 Op.16_3 楽興の時 アンダンテ・カンタービレ ロ短調

もろにロシア人の叙情で、ブレスの長さはいささか持て余す。

「幻想的絵画」から3年経った96年の作で、すでに少し落ち込んできているのかもしれない。

93 Op.16_4 楽興の時 ホ短調

ショパンの作品25の練習曲みたいだが、こちらは左手でとんでもないスピードの分散和音を弾き続ける。

94 Op.23 前奏曲第2番 変ロ長調

いったん落ち込んだラフマニノフがふたたびハイになった1903年の作品で、低音部の連打が迫力満点である。

これはリヒテルの59年録音にまさるものはない。

95  Op.23 前奏曲第3番Op23 ニ短調

こちらはちょっと野卑な感じがあるので、「ショパンたち」に入れるのをためらったのだが、ワイセンベルクの演奏があまりにも見事なため、つい入れてしまった。

本当は4番を入れたかったが、100曲に余る。

96  Op.23 前奏曲第5番 ト短調

これも上と同じ理由。59年のリヒテル盤に脱帽。

リサイタルのライブ録音がたくさんあるが、ミスタッチなしに弾ききった人を見たことがない。なかには終盤惨めに自爆した人もいる。

なおこの曲だけは1901年の作曲。

97 Op.34 No14 ヴォカリーズ 嬰ハ短調

ここから先はだんだん、ラフマニノフのうざったさが鼻についてくる。2曲だけ拾っておく。

これはラフマニノフのオリジナルではなく、管弦楽付きのソプラノ独唱を編曲したものである。

98 Op.39 「音の絵」No_2 イ短調「海とかもめ」

後期ラフマニノフには珍しく、お茶漬け風味。鉛色の空を飛ぶかもめ。

私はなんとなく中野重治の「さよなら女の李」を連想してしまう。


グリエール 1875年~1956年

99 悲しきワルツ 作品41の2

最後の2曲となった。はじめはグリエール。長生きした人だが、基本的には最後のロシア・ロマン派である。

スクリアビン。ラフマニノフと聞いた後だとほっとする。

写真を見るとブレジネフ顔だが、人種的にはロシア人ではない。ドイツ人とポーランド人の間に生まれた。生地もキエフである。ついでに言えば平民の出身でプロテスタントであった。

しかしその作風は強烈なロシア主義だ。この曲もいかにもロシア風だ。2台のピアノのための6つの小品の第2曲となっている。


スタンチンスキー 1888年~1914年

100 夜想曲 1907

26歳で死んだ人で、作風からすればもうロシアロマン派を外れるのだが、そういう曲もあるということで…



ということで、かんたんなコメントを入れるだけで1週間もかかってしまった。

しかも、欲求不満が溜まってしまう。事実の不足が感情的表現に補われている。まず上げておいて、あとで編集することにする。

ひょっとすると曲目変更があるかもしれない。