アカデミー賞というのにつられて「セールスマン」という映画を見た。途中から抜け出したくなる感覚を抑えながらの2時間であった。
映画の拠って立つ日常生活の過程への漠然とした違和感とともに、ザラッとした後味が残る。
劇の展開よりも、主人公たる男性の心が犯人への怒りと、前の住人(おそらく売春婦)への八つ当たり、妻へのそこはかとない疑惑を抱えながら、「私刑」へと人格を崩壊させていく過程を描いているのだが、それを描くことにどんな意味があるのか、どういう意味をもたせようとしているのかが分からない。
「復讐」という病的心理過程のダイナミクスは、それはそれとして正面から取り上げるべきでろうと思う。下手なサスペンスじかけにしたら、かえって人を混乱させるだけではないか。
アカデミー賞はこの監督の過去の業績に対して送られたのかもしれない。
映画というのはかなり訴求力の強い媒体なだけに、作品そのものに筋が通っていないと、観衆を混乱におとしいれるだけのものになってしまう。
「性犯罪と復讐」というのはイスラムでなくてもどこにでもある事件である。インドならいまでも日常茶飯事だ。作者には、ガルシア・マルケスのように、それを時代の流れに位置づける俯瞰の立場をもとめたい。そうすれば「セールスマンの死」とも重なるのではないか。