2017年07月15日


2016年10月30日に 「ロシアのショパンたち」 ピアノ小曲百選 を投稿した。

それから1年も経たずに改訂版を投稿する。前回の時点ではスクリアビンがしっかり聞けてなかった。また同時代のリムスキー・コルサコフ、グラズーノフなどなどもカヴァーしていなかった。

一応それらも聞いてみたが、結局カリンニコフ、グリエール、スタンチンスキーのほかは取り上げるほどのものはなかった。管弦楽や室内楽の才能とピアノの才能は少し違うらしい。

作曲家別に、おおよそ古い順に並べていく。とは言っても、ほとんどが1885年から2005年にかけての20年間の間にほとんどの作品がかたまっているので、あくまで便宜上のものと考えてほしい。

無調(に近い)の作品は除外した。楽典とか演奏には素人なので、難しいか平易かはいっさい配慮していない。「メロディーいのち」である。

今回は、曲目紹介に私的な感想は入れないと心に決めている。多くはPTNA(ピティナ)の解説の要約であるが、これでは足りないので英語の文献からかなり補充した。

 

グリンカ 1804~1857

1 ノクターン「別れ」 ヘ短調

ミハイル・グリンカは「ロシア音楽の父」と呼ばれる。歌劇「ルスランとリュドミラ」(1842年)の序曲が有名である。

この曲は1939年に作られている。紛らわしいがロシア語では別れのことをラズルカという。石原裕次郎の持ち歌で「別離(ラズルカ)」というのがあるそうだ。

2 マズルカ ハ短調

グリンカが作った6曲のマズルカのうち5番目の作品で、グリンカが39歳のときに作られている。

マズルカはポーランドの舞曲だが、ロシア人も大好きで、この時期ほとんどの作曲家がマズルカを作曲している。

 

バラキレフ 1837年~1910年

3 1864 ひばり (原曲はグリンカ)

バラキレフは18歳でペテルブルクに出て、たちまち頭角を現した。5年ほどのあいだに「5人組」を組織し、国民音楽を唱導した。

この曲は敬愛するグリンカの歌曲をピアノ用に編曲したものだが、内容的にはグリンカの曲を主題にした作曲といえる。(原曲もYou Tubeで聞けます)

4 1859 ポルカ嬰へ短調

ポルカは1830年代にボヘミアで作られ、ドイツに広がった。普通は陽気な2拍子だが、ここでは短調の曲となっている。

スメタナグリンカも短調のポルカを作っている。これはボヘミアからポーランドに広がったポレチュカの影響かもしれない。ショパンはポルカを書いていない。

5 1902 トッカータ 嬰ハ短調

バラキレフは何度も失敗しては立ち直っている。彼は死の前年、72歳の時まで曲づくりしている。これは65歳のときの曲だ。

ただし作品目録を見ると、この年に書いたというより書き溜めた楽譜を在庫一掃的に整理出版したのではないか。

32歳のときの難曲「イスラメイ」と通じるものがある

6 1902 ノクターン No.3 ニ短調

これもトッカータと同様だ。

なおYou Tubeにはあまりめぼしい音源がない。バラキレフのピアノ曲集はCD6枚組と膨大である。多分まだ知られざる歌曲が眠っているだろうと思う。

 

ムソルグスキー 1839年~1881年

7 1859 子供の遊び スケルツォ

ムソルグスキー初期の単品出版曲。展覧会の絵の「チュイリュリーの庭」をしのばせる。

8 1865 子供の頃の思い出 第2曲 最初の罰

ピアノ曲集「子供の頃の思い出」は5曲からなる。1曲めがスケルツォで、子供の遊び・スケルツォとは同名異曲。2曲めが「乳母と私」で、3曲めがこれ。

副題は「乳母は私を暗い部屋に閉じ込めた」となっている。

9 1865 ロギノフの主題による「夢」

日本語の説明は探せなかった。All Music というサイトに短い説明があった。

この頃ムソルグスキーは多くの仲間とともにペテルブルクのアパートを借り、共同生活を送っていた。仲間の一人にロギノフ(V.A. Loginov)という詩人がいた。この曲は彼のために作られ捧げられている。

10 1880 涙の一滴 ト短調

ムソルグスキーの小品の中では最もよく知られた曲。「涙」とも題されているが、原題がUne larmeなので、「涙のひとしずく」とした。

死の前年ということになるが、この時まだ41歳である。年表を参照いただきたいが、この頃彼は仕事を失い、クリミアを演奏旅行していた。「クリミア南岸にて」、「村にて」などの曲があり、最初は100選に入れていたが、今回は割愛した。

 

ボロディン 1833年~1887年

11 「小組曲」より 1.修道院で 嬰ハ短調

小組曲は1985年の発表で、ボロディンの唯一のまとまったピアノ曲集。ベルギーのアルジャントー伯爵夫人に捧げられている。正式な名前はマリー=クロティルド=エリザベト・ルイズ・ド・リケ。

アルジャントーはキュイの作品にも登場する。おそらく5人組のパトロンだったのだろう。

修道院とCDの日本語で書いたが、クヴォンと読む。英語ではnunnery で修道尼の方である。

小組曲は全7曲からなり、それぞれに副題が付けられている。この曲には「大聖堂の円天井の下で少女は神を思うことはない」と題されている。

12 「小組曲」より 2.間奏曲

ボロディンお得意のオリエンタル・ムードである。副題は「彼女は外の世界を夢見る」となっている。

貴族の子女が幼少時に修道院で育てられるのは、よくあることである。少女にとって「外の世界」は夢の世界である。

13 「小組曲」より 7.夜想曲 変ト長調

副題は「少女は満ち足りた愛によって眠りにつく」となっている。

有名な弦楽四重奏曲のノクターンを連想させる、同一フレーズの執拗な繰り返し。

 

キュイ 1835年~1918年

14 Op.20 12の小曲 第8番 子守歌

血筋で言うとキュイはロシア人ではない。

父親はフランス人でありリトアニアに住み着き、リトアニア人を妻とした。当時リトアニアはロシア領だったが、その昔はポーランドと並ぶ大国であった。

最初は土木学者としてキャリアをスタートさせ、1855年クリミア戦争で軍務についたあとは築城術の専門家となった。

音楽ではオペラ作家を目指したが成功せず、「余技」のピアノ曲が名を残すことになった。

キュイは作曲家としては類のない遅咲きである。とくにピアノ曲のスタートは遅い。作品番号1のスケルツォが1857年、22歳である。その後の作品は声楽、合唱、管弦楽曲が主体で、作品1もピアノ連弾曲である。

純粋なピアノ独奏曲は1877年の「3つの小品」(作品8)が最初である。作曲家デビューの20年後、42歳のことである。金沢摂さんの演奏を聞いても分かるように、この作品で左手のパッセージはほとんど何もしていない。

15 Op.21 組曲 1 即興曲 変イ短調

さらにその5年後、47歳の作品20で、初めて売り物になるピアノ曲を書いたことになる。もっともピアノ連弾曲ではあるが。

そして次の作品21でピアノ曲作家としての才能が花開いた。この曲は4曲からなる組曲の冒頭であるが、なぜ短調なのか分からない。
1885年に出版され、リストに献呈されている。世の「大作曲家」たちが寿命を終えることである。

16 Op.21 組曲 2 Tenebres et lueurs 嬰ト短調

フランス語で「暗闇と光」というらしいが詳細は不明。いかにもそれらしい曲である。

対位法を築城術のごとくに用いているのが印象的。

17 Op.21 組曲 3 間奏曲 変イ長調

これも短いパッセージを積みげていく築城術型作曲法の実例ということになるのか。

18 Op.22_3 ノクターン 嬰ヘ短調

とにかくキュイに関しては日本語文献が皆無にちかい。ソ連時代に軽視された影響もあると思う。

この「4つの小品」も85年、作品21と同時に出版されている。

19 Op.31 3つのワルツより 第2番 ホ短調

1886年の作曲で、第1番 アレグロ イ長調。第2番 アレグレット ホ短調。第3番 アレグレット・モッソ ニ長調からなる。

20 Op.40 ピアノ曲集「アルジャントーにて」 第5番 セレナーデ

キュイは1887年、ベルギーのアルジャントー(Argenteau)を訪れる。ベルギーと言ってもアントワープ周辺のフランス語地域である。

パトロンである伯爵夫人に会うのが目的だったろうが、とにかくこの訪問にあわせて9曲のピアノ小曲集を作った。「9つの性格的小品」と題されており、

1. 西洋より、2. 閑暇、3. 気まぐれに、4. 小さな戦争、5. セレナーデ、6. 談話、7. マズルカ、8. 礼拝堂にて、9. バラードをふくむ。

どことなく聞き覚えのあるスペイン風の曲である。

21 Op.40 「アルジャントーにて」第6番

練習曲“Causerie”(おしゃべり)と題されている。女性のおしゃべりに男性が相槌を打っている。

残念ながらYou Tubeでは以上の2曲しか聞けない。全曲を聴いてみたいものである。

22 Op.64 前奏曲集 第2番 ホ短調

ここからは前奏曲集からの抜粋。

何度も年のことを言うが、この曲集が発表されたのは1903年、すでに68歳である。もちろん書き溜めたものもふくまれているのだろうが、そのみずみずしさは特筆に値する。

You Tubeではいろんな演奏が聞けるが、ビーゲルの演奏した全曲盤はぜひとも買うべきである。アマゾンはとんでもない値段がついているが、タワーレコードならセール価格1142円だ。フィンガーハット盤は他の曲との抱き合わせだが、いずれも情緒たっぷり。こちらも絶対のお薦めだ。

2番は短い舟歌風の曲。メンデルスゾーンの無言歌を連想させる。

23 Op.64 前奏曲集 第4番 ロ短調

魅力的なテーマが提示されるが、展開は比較的簡潔。

24 Op.64 前奏曲集 第6番 嬰ヘ短調 Andante

同じテーマが最初は重々しいマーチ、ついでバラード風に、舞曲を挟んで、最後はエレジーで終わる。映画音楽のような構成。

25 Op.64 前奏曲集 第7番 イ長調

これもメンデルスゾーンの「春の歌」を思わせる簡素な曲。

26 Op.64 前奏曲集 第8番 嬰ハ短調

劇的なテーマの曲。強奏の連続は練習曲に近い。

27 Op.64 前奏曲集 第9番 ホ長調

夜想曲風のゆったりした曲想。もっともショパンに近い。

28 Op.64 前奏曲集 第10番 嬰ト長調

これもショパンのバラードを思わせる曲。

29 Op.64 前奏曲集 第16番 ヘ短調

スクリアビンの真似をしてみました。

30 Op.64 前奏曲集 第18番 ハ短調 Allegretto

メロディーは一番キュイらしさが出ている。

これで一応前奏曲は締切だが、入れなかった曲の中にも良い曲はある。

31 Op92 3つの旋律スケッチ 第1番 モデラート ハ長調

あえて作品92(3 Esquisses mélodiques)の3曲を全て100選に入れてしまった。

この作品は「ピティナ音楽辞典」にも載っていない。IMSLPは真偽を疑っているようだ。

The edition by the Art Publication Society would appear to be the only one to date. The details of how this work was acquired and issued by the Society, and how it was rendered in English, are subject to further investigation.

と書いている。

また英語版ウィキの「作品リスト」の項目ではこう書かれている。

Many individual compositions by Cui have been published over the years, especially in English and French editions, without information as to opus number

私はYou Tubeから拾った。演奏者・アップロード者はルイス・アンヘル・マルティネスという人だ。

発行元のクレジットによれば、1913年の作曲で同年にミズーリ州セントルイス(!)で出版されているとのことだ。実物がアップロードされている。

あとは“Believe or not”の世界だ。

32 Op92 3つの旋律スケッチ 第2番 モデラート ニ長調

1番と2番はロシア民謡風のメロディーに簡潔な左手が添えられている。

33 Op92 3つの旋律スケッチ 第3番

これは明らかに聞き覚えのあるキュイの曲だ。キュイの最高の曲の一つと言ってよい。おそらく真相は、キュイが鼻紙を捨てるようにメロディーを撒き散らしたということだろう。

とりあえず100選に入れてしまったが、いずれ番外編に突っ込むべきかもしれない。佳曲であることは間違いないのだが。