フランスの大統領選挙は、結局白か黒かの決着なので、その意味を探るのは難しい。だからポピュリスト対リベラルみたいな括りも出てきてしまうのだが、議会選挙の結果と合わせて読むともう少し分かってくる。
フランス議会選挙の総括はもう少し勉強してからのことにして、アメリカ、イギリス、フランスの選挙を通じて見えてくる世界の動きについて、感想を述べておきたい。
1.“国栄え、民栄える”思考の後退
最大のトレンドは、“国栄え、民栄える”思考の明らかな後退だ。
19世紀後半から、世界中が“国栄え、民栄える”思考の中にズッポリはまってきた。その結果として二度にわたる世界大戦がもたらされ、その副産物として原水爆という悪魔的兵器が生み出された。
第二次大戦後に作られた自由貿易体制は、本来は世界は平等なひとつの家族という考えを表現したものである。
そこで“世界栄え、民栄える”という画期的な考えが初めて打ち出された。
しかしそれはアメリカの圧倒的な経済的・軍事的な優位を背景にもたらされたものであった。だから表面的には世界平等主義であっても、アメリカの許す範囲での世界主義であった。
この矛盾は当初より緊張をはらんだものであったが、ベトナム戦争を経てアメリカの全一的支配が破綻すると、複雑でぎくしゃくとしたものとなった。
アメリカ自身が「強いアメリカ」を主張するようになると各国もそれに倣い、“国栄え、民栄える”思考が復活しつつあるようにみえる。
2.“国栄え、民栄える”思考のもたらしたもの
しかしこの時代遅れの思考は、それを主張する国家(アメリカをふくめ)にとって利益を生み出さなかった。そしてますますその弊害が誰の眼にも明らかになっている。国が栄えて栄えるのは超富裕層であり、民はますます衰えるのが現実の姿だからだ。
“世界栄え、民栄える”という考えが、あらためて見直されている。
世界中の人々は国がどうであろうと、世界がどうであろうと、民が栄えることを望んでいる。同時に民を不幸におとしいれるような国も、世界も望んでいない。
人々は、国が栄えることを前提とした民の繁栄という路線に疑問をいだき始めている。そして民が栄えるような国の、別のあり方を求めている。それは“世界栄え、民栄える”型の国家への移行だ。
3.“超富裕層栄えて民栄える”か?
いま超国家的な超富裕層が国を屈服させ、民を不幸へと追いやっている。国家はかつての植民地の現地機構のように、超富裕層に隷属し国民収奪の道具となっている。
「強いアメリカ」、「強いイギリス」、「強いフランス」のスローガンはもはや人々の心に響かない。それらは、国家よりもっと強い超国家企業・超富裕層をどうするかという問題に答えていないからである。
この21世紀的枠組みに立ち向かっていく政府が、民を栄えさせる政府(いまは可能態にすぎないが)である。それが世界で同時多発的に立ち上げられる必要がある。
そしてその可能性がこの3つの選挙でしめされた。ここに最大の意義があると、私は思う。

今世紀の初頭、世界の人々が高らかに宣言した「もう一つの世界は可能だ」のスローガンを、我々は想起すべきだ。そして共通する目標として、“世界栄え、民栄える”を掲げるべきだ