これまで勉強してきて、アイヌ民族観がかなり変わりました。
1.縄文人がアイヌ人と日本人(和人化)に分岐した

非常に誤解を招く言い方ではありますが、アイヌ人というのは案外日本人なのではないかということです。

雑駁に言えば、日本人というのは縄文人と渡来人のハイブリッドです。

アイヌ民族は渡来民と混血しなかった縄文人ということになります。

日本人=混血民+渡来民+縄文人と広く捉えれば、アイヌ人も日本人の範疇に入ることになります。琉球人が琉球民族ではなく日本人であるなら、同じ論理が適用されても不思議ではありません。
2.アイヌ人は縄文語を母語とする縄文人

ではどこが決定的に違うのか。言語です。日本語は基本的に渡来人の母語です。そして琉球言葉も完全に日本語です。

琉球弁がさっぱりわからないのは、薩摩弁や津軽弁がさっぱりわからないのと同じです。なのに同じ日本語だと分かるのは、書けば理解できるからです。

アイヌ民族の謎は、尽きるところ言語をめぐる謎です。

何故北海道のエミシは縄文語を使い続けたのかということです。

東北のエミシとの対比で言えば、なぜ縄文語を母語とし続けることが出来たのかというふうに言い換えることも可能でしょう。
3.なぜ縄文語が残ったのか

最大の理由は、和人が青函海峡を越えて北進しなかったことでしょう。幕末にかなりの武士団や、入植団が北海道に入りましたが、そのほとんどは寒さに耐えきれず撤退します。

また日本人は基本的に農耕民族ですから、農業(稲作)が不適な場所では生活できません。

もっと直接的な理由は、東北北部のエミシ勢力の衰退です。安倍氏の滅亡、安東氏の衰退により、本州とのパイプ(血の繋がり)が切断されてしまいます。

とりわけエゾ宗主である安東氏(日の本)の衰退は、権力関係の空白をもたらしたのだろうと思います。もっと津軽エミシの圧力が強力にかかり続ければ、北海道にも和人化の波が押し寄せたのではないでしょうか。

その前に安東氏の支配下で、津軽エミシそのものの脱エミシ・和人化が進んでいます。縄文語に変わり日本語が母語となり、安東氏は「和人」として北海道のエミシ(渡党)に相対するようになります。

4.東北(津軽・出羽・陸奥)を知らないとアイヌは分からない

こうやっていくつもの事象が重なったことから、北海道のエミシ+自生的縄文人は独自の文化を形成するようになったのではないでしょうか。そのエポックとしてコシャマインの戦いをあげても良いのかもしれません。
とりあえず、アイヌは松前藩との力関係において、和人化せずに済んだとも言えるし、和人化しそこねたと言えなくもありません。

その和人化強制が明治維新を機に一気に進んだために、多くの軋轢が生まれたのはご承知のとおりです。
いずれにしても、北海道の中だけで見るのではなく、「東北北部と一体となった動きの中で、アイヌ民族の形成過程を見ていかなければならない」ことだけは間違いなさそうです。