明治維新というのは不思議な革命である。

革命という言葉を使ったが、異論もあろうかと思う。

しかしクーデターと言うにははるかに長期かつ大規模である。そして最後には戊辰戦争という国を二分する内戦を経過して初めて成し遂げられた政治権力の交代である。

これが革命でなくして何を革命と呼ぶか。マルクス様にお伺いを立ててもせんのないことだ。

最初から話が横道にそれた。

「明治維新革命」は三段階に分けて語ることができる。最初は攘夷運動だ。これを通じて幕府の権威は大きく揺らぎ、天皇の権威が高まった。しかしこの高揚はイギリスに戦いを挑んだ長州、薩摩の惨敗により幕を閉じる。

第二幕は、京都の動きに目を奪われると複雑だが、軍事的に見れば長州の孤立した戦いの局面だ。それは蛤御門の変から第一次長州戦争、第二次長州戦争と続く。これで負けていたらその後の動きはなかったろう。

第三幕は長州討伐の失敗で権威失墜した幕府が自壊し、戊辰戦争へと追い込まれていく過程で、イギリスの動向も絡んで、かなり陰謀的な様相が強く評価もバラバラだ。

明治維新がなかったら、日本の近代化は10年は遅れていたかもしれないし、逆にもっとスムーズに進んでいたかもしれない。ひょっとすればイギリスの植民地になっていたかもしれない。

しかし肝心なことは、もはや幕藩体制では「明治グローバリゼーション」を乗り切ることはできなかったということである。

これらの内紛を通じてイギリスに「日本には迂闊に手を出さない方がいい」という印象を与えたことであろう。

中国に比べれば日本からのリターンはたかが知れている。しかもやたらと好戦的で事を構えれば相当厄介なことになる、となればとりあえず好きなようにやらせて自壊を待つ、というのが妥当な戦略となる。

ということで、明治維新革命は国内評価においても国際評価においても軍事的動向抜きには語れないのである。

その中でも歴史の変曲点となった第二次長州戦争についてより詳しい分析が必要であろうと思う。

ということで、前置きが長くなったが、第二次長州戦争の年表。色々な呼び名があるが、ここでは長州戦争で統一しておく。

その前に、長州戦争の序曲となった第一次長州征討事件の年表。