第一次長州征討についての感想。
とりあえずウィキから拾っただけなので、ウィキ氏の主観が色濃く投影されていると思う。
まずは第一印象ということで。

1.幕府の圧勝だったはず
蛤御門の乱は江戸幕府にとって、絶好のチャンスであった。
はっきりした敵は攘夷派の志士たち、朝廷内の五卿を中心とする尊皇派、そして軍事集団としての長州藩であった。
中間派として孝明天皇の側近集団、親藩並みの地位をもとめる薩摩藩がいた。
この中間派は蛤御門の乱を機に、反攘夷・反長州へとなびいた。
江戸幕府はこの機を逃さず、長州征討の大号令をかけた。
そして武力で長州藩支配地を占領するつもりでいた。和解するつもりなどないから、長州藩へ厳しい講和条件を出した。
そして御三家筆頭の尾張藩を総督とし、戦争計画を着々と進行させた。

2.薩摩の密かな介入
そこに忍び込んだのが薩摩藩(西郷)で、長州藩に密使を送り込んで妥協の可能性を探り、幕府要求を値切った腹案を総督の下に提案した。
諸藩連合の実現と、外様大名の発言力強化を目指していた薩摩にとっては、幕府独裁体制の強化につながる動きは避けなければならなかったろうと思う。
しかし薩摩藩にどのような思惑があったにせよ、これは抜け駆け行為であり、厳しく言えば通敵行為である。

3.徳川慶勝の独断的計画変更
総督はこの提案を受け入れたのみならず、西郷を全軍の参謀格に据えた。
つまり徳川慶勝総督は戦争をしたくなかったのである。そのために当初の目的を曲げてまで、組織規律に逆らってまで戦争回避に動いたのである。
西郷を参謀格に据えるまではかろうじて専権事項といえるが、幕府を代表する幕閣にも、小倉の副総督にも事前に「ホウレンソウ」したとは思えない。

4.自前の軍を持たない江戸幕府の脆弱さ
何よりも不思議なのは、江戸幕府軍が自ら攻撃の先頭に立たなかったことである。
その気になれば、江戸幕府軍単独で長州戦争を戦うことも出来たはずだ。
その代わりに諸藩には戦費を負担させればよい。
もちろん戦争というのはキャンペーンでもあるから、諸藩がこぞって戦争に参加したという形を取ることも大切である。
しかし戦争というのは形でやるものではない。
割当制で戦争をやろうとするなら、諸藩は前を向かずに隣を見る。そこそこお付き合いしましょうということだ。
これが「敵は幾万ありとても、すべて烏合の衆なるぞ」というものだ。