タイのこの10年間を見ていると痛感することが2つある。
ひとつは、腐敗した民主主義は「清潔な」独裁よりはるかにマシだということだ。「清潔な」民主主義は腐敗した民主主義の中から生じてくるが、清潔な独裁からは生まれてこない。
もうひとつは、民主主義が成熟して清潔な民主主義に向かうには時間がかかるということだ。腐敗した民主主義を糾弾することは清潔な独裁を支持することではない。なぜなら清潔な独裁は腐敗した民主主義からは生まれてこないからだ。清潔な独裁は腐敗した民主主義を利用して民主主義を否定するからだ。
まずは腐敗した民主主義を支持しなければならない。腐敗した民主主義は清潔な独裁が否定されたところから生まれてくる。清潔な独裁主義者が独裁を続けられなくなった時、彼らの一部は腐敗した民主主義者に生まれ変わる。
支配者が腐敗した民主主義者と清潔な独裁主義者に分裂した時は、清潔な民主主義者にとってチャンスなのだ。その裂け目をどれだけ深く、修復不可能なところまで持っていくかが大事なのだ。
時間がかかるのだ。一喜一憂していても始まらない。とりわけ労働者階級をどれだけ力強く組織できるかが決定的だ。農民・小作農・農村労働者を支配層からどれだけ切り離せるかが勝負だ。合法活動と非合法活動を組み合わせて、不抜の組織を構築していかなければならない。
度重なるクーデターがもはや時代遅れであるのと同様に、都市での赤色テロも農山村でのゲリラ活動も時代遅れだ。自警団や準軍事組織との闘いは厳しいものとなるに違いないが、生産点を握って離さない活動が必要だ。今はぎりぎりそれが可能な時代に入っている。
誤解を恐れずに言うなら、「民主化は韓国に学べ!」だ。
書くのが面倒くさくなったので、
韓国の朝鮮戦争後史年表(53年以降)紹介:韓国の民主運動を参照されたい。