石油・天然ガス資源情報」というサイトに地味に面白い記事が載っている。

マスコミの国際情報というのは、普通は必要な情報は載らず、むしろ本質を覆い隠すような情報のみが載せられることになっている。

このページは半ば情報誌とも呼べるものだが、意外に本当の情報が載っている。

中でも面白かったのが「アラブの春から4年…混迷する中東・北アフリカ諸国」という連載だ。全6回から構成され、執筆者がそれぞれ異なる。

ネットでは2~6回が読める。順次紹介しておく。


第2回 アラブの政変とイスラエル 中島 勇

はじめに

「中東については予想をしてはいけない」という格言がある。現状は、この格言のとおりである。

そこには多様な要素が複合的に絡んでおり、分析や評価の視点も当然ながら多数ある。

その中で、イスラエルの「アラブの春」評価は特異だがリアルでもあり、注目に値する。

①アラブの政変をイスラエルは全く予測していなかった。

②イスラエルとの和平を維持してきた独裁者が追放されたことに驚き、未知の政治勢力が出現することを警戒している。

③イスラエルは、戦略的資産と見なすエジプト・ヨルダンとの和平を順守することを最大の目標にしている。

1.エジプト政変の意味

政変が起きた国の民衆は、独裁政権に怒りの声を上げたが、イスラエル非難の声はほとんどなかった。イスラエルという国やその社会には関心がないのかもしれない。

エジプト政変で、イスラエルの過去30年の努力は無に帰した。エジプトとの和平は、イスラエルの安全保障戦略上の最も重要な基盤であった。

イスラエルが昔も今もそして今後も、最も警戒する相手はエジプトである。エジプトはイスラエルと25年間の間に4回も戦った。

第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)では、シナイ半島で本格的な近代戦に突入し、激しい消耗戦を行った。劣勢に立ったイスラエルは機甲部隊によるスエズ運河の逆渡河作戦を強行、エジプト軍の補給路を絶つことでようやく挽回した。

1979年の和平条約で、イスラエルはシナイ半島をエジプトに返還した。反対する入植者らをイスラエル軍は力ずくで排除した。こうして獲得したのがエジプトとの和平である。

第4次中東戦争の後、現在まで約40年間戦争はない。両国間には1件の和平協定違反もない。スエズ運河が戦争のために閉鎖されることはなくなった。

米国はエジプトとイスラエルの和平を維持するために、外国援助総額の半分近くの支援を両国に対して行った。「米国は和平を金で買った」と言われた。

ムバーラク体制が崩壊した時、イスラエルはその冷たい和平が破綻するかもしれないと恐れた。

2013年7月の第二革命でムルスィー大統領が、エジプト軍によって解任された。2014年1月に新憲法が国民投票で承認された。そして国防相・参謀総長のシーシーが大統領に選出された。

シーシー政権はガザのハマースを国内のムスリム同胞団と同じと見なし、厳しい対応を開始した。エジプトとガザの間にある密輸用の地下トンネルのほとんどが封鎖された。

シナイ半島では、エジプト治安部隊と武装勢力(密輸貿易の担い手)との衝突が増加した。イスラエルは、エジプト軍が治安作戦で戦車や装甲車を使用することを認可した。

この結果、ガザへの物資の約95%が停止している。ガザ経済は、今や過去最大の危機に瀕している。

2.イスラエル国内体制の変化

テルアビブでも若者の占拠運動が行われた。そのデモは11年9月には約40万人規模に拡大した。

デモ隊は、少数の財閥が国民経済の30%を支配している状況に抗議し、より平等な富の分配や社会的正義の実現などを要求した。

デモ参加者らは貧困層ではなく、学生や若者、教師や技術職など専門職の中間層が主体だった。左派も右派も抗議行動に合流した。

イスラエルは建国以来、「社会主義」的な経済形態を取っていた。しかし1980年代末から民営化を進めた。

軍需企業が蓄積した知識と経験が、民営化によって市場に出た。その結果、イスラエルはハイテク国家に変貌した。

毎年約5%の経済成長を維持した。国民1人あたりの収入は、1990年の約1万5,000ドルから2009年には2万8,100ドルとなり、ほぼ倍増した。

しかし、国内の貧富の格差も同じテンポで拡大した。それに対する不満が表面化したのである。

3.イスラエルとパレスチナ問題

1993年、イスラエルはパレスチナと政治交渉を決断した。パレスチナの反占領運動は戦車に石で立ち向かった。パレスチナの若者に対してイスラエル軍は銃撃を加えた。その映像は世界中で報道された。

イスラエルは国際的な非難にさらされた。米国のユダヤ人社会でさえ厳しく批判した。イスラエルは、パレスチナ人の反占領運動を力で鎮圧できないことを明確に知った。

1994年に成立したパレスチナ自治政府はすでに実体を整えた。イスラエルは、パレスチナ国家が新たな脅威となることを警戒している。その一方、PAを解体して、パレスチナ人を再び統治する意図もない。

イスラエル人の多くが政治に無関心になった。その結果、組織票を持つ宗教政党の得票の相対的な比率が上昇した。それにつれイスラエル社会の宗教化・右翼化・内向き志向が増大した。

「民主国家イスラエル」が、非西欧的な宗教国家に変質する危険性が高まっている。イスラエルを批判するイスラエル人やユダヤ人は「自虐的イスラエル人、ユダヤ人」として非難されるようになった。

4.国政に変化の兆し

民衆の不満は2013年の国会選挙で鮮明となった。中道派政党の新党イェーシュ・アティド(未来がある党)が、初めての選挙で19議席を獲得して第2党になった。

これは世俗派の中産階級の有権者の投票が増加したためとされる。

これは安全保障コストへの無言の問いかけとなっている。東エルサレムやヨルダン川西岸を維持するために、国民生活の安定を犠牲にして、国家の予算を使うべきかという問いである。

ネタニヤフ首相は、決定を先延ばししている。