RNAワールドは難しい。読んでもほとんど分からない。ということが分かった。

並列的に並べられた多くの学説をレビューしていくと、この学問が進歩のただ中にあるということが分かる。

前の記事に書いた私の感想はそのまま置き去りにされている。もう1,2年経ってから読み返すのが利口なようだ。

一応感想だけ書いておく。

とにかく生命というのはものすごく複雑なもので、いくつもの関門を経てDNAワールドが誕生する。しかしそれだけではだめで、きわめて複雑なエネルギー生成・蓄積・解糖経路、高度に集積されたアミノ酸の統合体・触媒系としてのタンパク質、これらの過程を設計図・工程表として記憶する巨大な核酸統合体としてのDNA、これらが揃わなければ生命の発生は準備されないということだ。しかもここにはまだ生体膜の構造問題が抜けている。

RNAワールド仮説はそのための一つの糸口を提供しているに過ぎない。

鍵となる概念は三つある。

一つは、量が質を規定することであり、量的増加(多様化)がどこかでブレイクスルーを成し遂げ、量から質への転化がなされることだ。逆に言えば、質的変化の背後には無数の進化の試みがあり、それが「多様化」として示されていることだ。ヌクレオチド→ポリヌクレオチド→RNAという流れも、アミノ酸→ポリペプタイド→蛋白という流れも、そのような進化の階段のどこかに位置づけなければならない。

一つは、生命が欲するのはなによりもタンパクなのだと言うことだ。タンパクが他の方法で作れるのなら、核酸などなくてもよいのである。だからアミノ酸はペプチドを作りポリペプチドを作り、おそらくは低級なタンパクも作ったと考えるべきだろう。RNAが自らを触媒とし得たようにタンパクも、自己を複製する機序を初歩的には獲得した可能性がある。しかし生命が必要とするようなタンパクを構築するにはRNAの助けを借りるしかなかったのだろう。「天は自らを助くものを助く」のである。

もう一つは、地球の発生直後の過酷な環境やジャイアントインパクト、後期重爆撃期という環境激変の只中に生命を誕生させた地球の持つエネルギーの凄まじさである。なんというか「時代がそうさせたのだ」という感じだ。生命というのは形ではなくほとばしるエネルギーである。地球の持つ熱力学的エネルギーが、相対的なエントロピーの低下をもとめる中で「生命エネルギー」という形で生命を生み出した。これが地球の誕生後、相対的には短期間のあいだに生命が生まれた理由ではないだろうか。

生命は何度も危機に晒されたし、初期の頃は皆殺し的な場面もしばしばあったのだろうと思う。荒れ狂う修羅の如きエネルギーが、相対的に安定した定在的エネルギーとして、生命の存在を許すようになったのはカンブリア紀に入ってからのことであろうと思う。

生命を地球エネルギーの定在(構造化)として把握するならば、それは地球の命の終わる日まで「構造的発展」を遂げることになるであろう。その範囲内において我々は安んじて「進化と発展」という言葉を使い続けてよいのだろうと思う。そして、その頃までに我々は宇宙的エネルギーの体現者としての様相を整えることになるだろう。