ブログというのは便利なもので、ふと思いついたことをサラサラと書き留めておくと、いつの間にかインスピレーションになったりする。大抵は風呂の中で放った屁みたいなもので、臭いだけだ。
今時分、いい加減アルコールが回った頃に浮かんでくるのだが、次の日にシラフで読み返すとがっくり来ることがほとんどだ。
といいつつ、本日の思いつき。

誰かさんが「生命の本質」として5点か6点あげていた。それは多分正しいだろう。それは時系列的に並んでいるのだろうと思う。
そこには「半生命」的な段階があるのだろうと思う。
屁のあぶくみたいなものが何回も出現して、それがひとつながりになり、回り始めたときが生命の誕生だろう。
それは種としての持続性なのではないだろうか。つまり個体を越えた生命の維持である。しかも拡大的な維持である。
ということで、想像するにRNAからDNAへの転化、すなわち再生・増殖能力の持続的維持こそが生命の誕生の瞬間なのではないか。
現在、この世界にはRNAウィルスというものが存在する。これは生涯のほとんどを「物質」として暮らす。「生涯」というものがあればの話だが。RNAにもなっていないプリオンみたいなものもある。
これらはDNAに取り付く一種の寄生虫で、DNAに取り付いてその一部を修飾し、自分を複製させる。その時だけはあたかも生物であるかのように存在し活動する。しかし自分に見合うDNAが自分を取り込んでくれない限りは塵や埃の一部でしかない。
こういうパートタイマー的生命が、生命の最初を形成したとのではないか。
いまのRNAウィルスのほとんどはもともとRNAだったのではなく、DNAに寄生する中で余分なコンポーネントを削ぎ落とし、RNAに「進化」した存在である。これを我々の祖先とすることは出来ない。
しかし太古の昔には「自立したRNA」が存在したのではないか。
この「自立したRNA」は、m,t,mRNA的なものやdsRNA的なものなど幾つかの形で発展し、ある日DNAとなって自律的な増殖能力を獲得したのではないだろうか。
パートタイマー的生命がより持続的な臨時社員的な生命に発展し、さらに世代を超えて自らの種を持続・増殖させるようになったときが「生命」の始まりと見てよいのだろう。

エンゲルスが「生命とはタンパク質の存在の仕方である」というのは正しい。そのテーゼはここまで展開できるのである。
マルクスが資本主義的生産を、単純な生産→単純な再生産→拡大再生産という3つの段階を見据えながら論じているのは示唆的である。まさしく、「生命」は拡大再生産の可能性を手に入れたことによって本格的な生命となるのである。