キューバの音楽 歴史

Cuban Music History より

SHORT HISTORY OF CUBAN MUSIC と言いながら結構長い。おそらくウィキのMusic of Cubaを抄出したものであろう。そちらは本1冊分くらいある。
かなり不正確な記述が多く、そのままでは使えない。取捨選択して前の記事に取り込んである。しかしそのまま捨てるのももったいないので、アップしておく。

1910年代まで

民俗音楽

キューバの先住民はタイノ、アラワク、シボネイ人である。彼らはアレイートと呼ばれる独自の音楽を持っていた。

たくさんのアフリカ奴隷とヨーロッパからの植民者に飲み込まれそれらの音楽は姿を消した。

ヨーロッパのダンスと歌とは、最初はサパテーロ、ファンダンゴ、サンパド、レタンビコ、カンシオンであり、後にはワルツ、メヌエット、ガボット、マズルカなのである。

後者はあとから来た裕福な白人層に好まれた。

キューバ音楽の発展は、砂糖農場に持ち込まれたアフリカ人奴隷とスペイン本国あるいはカナリア諸島から植民した小規模自営農の混合がもたらした。

アフリカ人は大規模な打楽器集団とこれによる複雑なリズムをもたらした。もっとも重要な打楽器はクラーベ、コンガ、バタ(太鼓)であった。

この2つの民族集団のほか、中国人がもたらしたチャルメラは、今もサンチアゴのカルナバルで用いられている。

グアヒーラ

グアヒーラの起源は泥臭い田舎の音楽である。20世紀のはじめに登場した。多分それはプエルトリコのヒバロのような農民の音楽であろう。

その代表的な楽器が12弦のトレスと呼ばれるギターである。その調弦も独特である。

農民音楽(Música campesina)

農民音楽はセリナ・ゴンサレスにより広く知られるようになった。即興の歌と踊りであるデシマとヴェルソからなる。現代ソンの直接の先行者と言われる。

ダンソン

ダンソンのルーツはヨーロッパの舞踏である。それは1870年ころにマタンサスを中心に発展した。そこは大規模なサトウキビ栽培が営まれ多くの黒人奴隷が働いていた。

1879年、はじめてオルケスタ・ティピカによる完全な形でのダンソンが発表されている。作曲者はミゲル・ファイルデであった。

オルケスタティピカというのは軍楽隊の非公式な形態である。

音楽家たちはハバネラを発展させてアフリカ的要素を取り入れた。ダンソンは20世紀に入ってからJosé Urfe, Enrique Jorrín and Antonio María Romeuらによりさらに発展させられた。

チャランガ(ハイチからの音楽)

他にもキューバの民俗音楽の源流がある。例えばサンチアゴのボレロである。これはフランス領のクレオールがもたらした。一種のバラードで、チャランガという小さな編成で演奏された。

チャランガは1791年から始まったハイチ革命がもたらしたものである。ハイチから亡命した黒人たちはオリエンテに住み着き、独自の社会を構成した。そして独自のスタイルのダンソンを生み出した。

これはトゥンバ・フランセーサと呼ばれた。それは後にコンパルサ、マンボ、チャチャチャなどの源流となった。

チャングイ(Changuí)

ソンより速いリズムで、サンチアゴからさらに東のグアンタナモにかけて広がった音楽である。チャングイの起源はよくわかっていない。ソンとの前後関係も不明である。おそらく両者は並行して発達したのではないか。

チャングイの特徴はスピード、打楽器メイン、ダウンビートの強調にある。

エリオ・レベのチャングイ再発見に始まり、最近ではカンディド・ファブレやロス・ダンデンらによる現代的演奏もある。

もっとも重要なできごとはフアン・フォルメルとロス・バンバンによるチャングイの引き揚げである。彼らはトロンボーンとシンセサイザーを加え、打楽器群をさらに厚くして「ソンゴ」というジャンルを開拓した。

ソン

ソンはキューバ音楽のもっとも主要なジャンルである。そしてキューバ音楽のほとんどの基礎となっている。

その起源は東部である。スペイン人農民、チャングイの流れの合わさったものとされる。楽器編成的にはスペインのギターとアフリカの打楽器の混合である。

ソンの特徴は、今日ではきわめて幅広く、一言で語ることは出来ない。

リズム的には、バスの打撃がダウンビートの前に来ることが特徴となっている(前置きバス)。これはソンの派生リズムもふくめてきわめて特異的である。

ソンは伝統的に愛を歌い故郷を歌ってきた。最近では社会的・政治的志向を持つようになっている。

ソンの歌詞は典型的には10行(デシマ)、8音節(オクトシラビック)で、4分の2拍子で演奏される。

ソンのクラーベは裏打ち(tresillo)であったり前打ちだったりする。要するに調子っぱずれで、そのハズレ具合が、慣れてくると心地よいのである。

バタ(batá)とジュカ(yuka)

黒人共同社会の音楽でもっとも有名なのがルクミ(Lukumí)グループである。ルクミの音楽はバタというひょうたん製の打楽器群からなり、伝統的儀式に先立って演奏される。

1950年代、ハバナ地区のバタ奏者グループ「センテーロ」がルクミをキューバ音楽のメインストリームに押し上げた。そのあとメスクラやラサロ・ロスなどのグループ、マルティニクのズークもこの流れに加わった。

コンゴ系黒人はジュカという打楽器群を使っていた。これはブラジルのカポエイラと共通する。このジュカがルンバへと発展する。

ルンバ

ルンバはハバナとマタンサスの港湾労働者から発生した。さまざまな打楽器、歌手とコーラスからなる演奏は、民衆の踊りのためのものだった。

ルンバという言葉は、楽しい時を過ごすという動詞から来ているらしい。いずれにしても踊りのための演奏だ。

ルンバには3つの種類がある。columbia, guaganco そして yambúだ。

コルンビアは8分の6拍子、男性の一人踊りですごいスピードだ。攻撃的でアクロバティックな動きだ。

グアガンコは4分の2拍子。男女の踊りでもう少しゆったりとしている。男性は女性に対して一物を突き立てる動きを示す。

ジャンブーはグアガンコの前踊りで「年寄りのルンバ」と言われる。この踊りはすでに廃れてしまった。

1920~30年代

多様化と大衆化 

今日の形態のソンは1920年にトリオ・マタモロスがハバナに持ち込んだと言われる。

ソンはまもなく都会化された。トランペットや新たな楽器が持ち込まれた。そしてハバナの音楽シーンにとてつもない影響を与えた。

ソンははじめのトリオから7重奏団にまで発展した。

ときとともに音楽家はソンの漂白をはじめた。ハバナのナイトクラブを訪れる観光客に、難しいアフリカのリズムを伝える必要はないからだ。クラーベは固有のソンのビートを打つのをやめた。

キューバ音楽のアメリカ上陸

1930年代、レクオナ・キューバン・ボーイズとデシ・アルナスがコンガのリズムをアメリカに普及した。ドン・アスピアスがソン・モントゥーノを、アルセニオ・ロドリゲスがコンフント楽団を広げた。

ルンバはアメリカでますますポピュラーなものとなった。海外組のうちでもErnesto Lecuona, Chano Pozo, Bola de Nieve, Mario Bauza, などが有名である。

マンボが最初にアメリカに入ったのは40年代初めのことだった。最初のマンボ、その名も「マンボ」は、1938年カチャオ・ロペスによって作曲されたものだった。

それから5年後、ペレス・プラドがハバナのナイトクラブ、「トロピカーナ」の観衆にマンボ・ダンスを披露した。

マンボはそれまでのダンソンの形とはまったく違っていた。それはソン・モントゥーノとジャズの要素を取り入れていた。

1947年までにマンボは全米に広がった。しかしその熱狂はわずか2,3年で終わった。

革命の急進化 音楽家の亡命

66年から68年にかけて政府は極端に急進化した。残されたナイトクラブやレコード産業はすべて国有化された。

数多くの音楽家が仕事を失い、アメリカに去った。その一人にセリア・クルスがいる。彼女はグアラーチャの歌手で、亡命後はサルサの興隆に加わった。

イラケレのメンバー何人かも亡命し、パキート・リベラとアルトゥーロ・サンドバルは成功を収めた。

ハバネラ

19世紀後半、ハバネラはコントラダンサの枠を越えて発展し始めた。リズムは単純明瞭となり、スペインやアフリカの曲をレパートリに加えることで、より多彩なジャンルとなった。

1930年代、アルカノとマラビリョス楽団はコンガに触発され、ハバネラにモントゥーノを加えた。それはチャランガと呼ばれ、庶民のあいだに根強い人気を誇った。

1940年代と50年代

アルセニオ・ロドリゲスはキューバでもっとも有名なソネーロである。彼はソンのルーツをもとめ、アフリカのリズムを積極的に取り入れた。

中でもグアガンコの摂取が特筆される。また彼はリズムセクションの中にカウベルとコンガを取り入れた。また独奏楽器としてトレスをフィーチャーした。

さらにあるせニオはモントゥーノをメロディーの要素としてソロ楽器に受け持たせた。このスタイルはソン・モントゥーノと呼ばれるようになった。

1940年代、チャノ・ポソはニューヨーク・ジャズのビーバップ革命の一翼を形成した。ジャズにコンガなどアフロ・キューバンの楽器が取り入れられた。

米国におけるキューバ音楽

エンリケ・ホリンが率いるチャランガ、オルケスタ・アメリカはチャチャチャを生み出した。それは50年代に世界的なブームとなった。ティト・プエンテやペレス・プラドなどの超有名楽団もチャチャチャを演奏するようになった。

1960年代と70年代

モダンキューバ音楽は、これらの要素を絶えず撹拌し新たなものを生み出すゆりかごとして注目されるようになった。

例えばイラケレは大楽団編成にバタを用いたことで注目された。さらにキューバの音楽家は「モザンビケ」を生み出した。これはルンバやバタのドラム音楽を取り入れたもので、バタルンバとも呼ばれる。

カストロと亡命者たち

カストロ政権の音楽活動への強制は徐々に強まった。初期の支持者たちも次々と亡命した。

しかしソ連の崩壊とともに、音楽への圧力も弱まり、外国での演奏が自由になっている。

サルサ

1970年代に始まったソン・モントゥーノと他のラテンアメリカ音楽との融合は、サルサを誕生させた。それは今でもラテンアメリカでもっともポピュラーな音楽となっている。

ヌエバ・トローバ

ヌエバ・トローバは社会的メッセージを込めた歌のジャンルで、南米のヌエバ・カンシオンと響き合っている。

トローバは、シンド・ガライ、ニコ・サキート、カルロス・プエブラなど20世紀初頭に活躍したトロバドールの歌った曲を指す。

ソ連の崩壊後、ヌエバ・トローバも新たな方向を目指すようになった。例えばリウバ・マリア・エビアは高い詩的水準を保ちながらも、非政治的な方向を目指している。

カルロス・バレラは明らかに政府批判の立場に立って活動を行っている。

1890年代と90年代

ソンとヌエバ・トローバは現在のクーバにおいてももっともポピュラーな音楽ジャンルとなっている。

ソンは1985年に再結成されたセプテート・ナシオナル、オルケスタ・アラゴンなどむかしからの楽団がいまも担っている。彼らの主な活動は古いキューバの曲を発掘し、それを洗練させる方向に向かっている。

これに対しイラケレ、エネへ―・ラバンダ、ソン・カトルセなどはソンに新たな要素を加えようとしている。

エネへ―・ラバンダはヒップホップやファンクの要素を加え、「ティンバ」として売り出した。オルケスタ・アラゴンもティンバに取り組んでいる。