図書館というのはすごいところで、澤地久枝の「昭和史のおんな」を頼んだら5分で出てきました。

実物を拝むのは初めてです。

さまざまな題材がずいぶん広く深く扱われていて、さすがプロはすごいなと思いました。

この本では16人の「昭和史のおんな」がとりあげられ、ふじ子はその中のひとりに過ぎません。

それでも、ざっと読むのに1時間かかりました。中身がそれだけぎっしりと詰まっているのです。

これだけでも十分な情報量があるので、結局これからの作業はこの本の落穂ひろいみたいなことになるのではないでしょうか。

とりあえず、メモしたところを文章に起こしておきます。

題名と内容の乖離

表題は「小林多喜二への愛

副題というかリードとして、以下のように書かれている。

戦後、歴史論争を呼んだ「党生活者」の笠原のモデル・伊藤ふじ子の歩んだ70年の歳月

ただし、この“センセーショナル”な題名にもかかわらず、その後の文章の中で、澤地は伊藤ふじ子は「ハウスキーパー笠原」ではなかったことを証明している。

伊藤ふじ子の死

伊藤ふじ子は昭和56年4月26日、自宅で突然死した。激しい頭痛を訴えた後意識がなくなり、そのまま帰らぬ人となった。享年70歳、今日から考えれば比較的若い死であった。

澤地はふじ子の死を伝える2つの訃報を紹介している。

赤旗の訃報

戦前、治安維持法下の特高警察の過酷な弾圧の下、貧困と闘いながら、作家・小林多喜二の創作活動を献身的に支えました…

北海道新聞の訃報

旧姓は伊藤ふじ子。昭和8年、小林多喜二が中央公論に発表した、地下生活を描いたとされる「党生活者」にハウスキーパーとして登場。これをめぐり「伊藤は小林多喜二の妻であった」とする日本共産党と、「ハウスキーパーだった」とする平野謙氏ら評論家グループが歴史論争したことがある…

平野の党攻撃とふじ子の躊躇

そこで出て来る「平野謙氏ら評論家グループ」という人たちの言い分が紹介されている。

「新潮」という雑誌の昭和21年10月号に掲載されたものらしい。

目的のために手段を選ばぬ人間蔑視が、「伊藤」という女性との見よがし的な対比のもとに、運動の名において平然と肯定されている。そこには作者のひとかけらの苦悶さえ浮かんでこない。

これは「党生活者」という小説中で、地下活動家の偽装妻となった「笠原」という表象への「文学」的批判などであるが、これが伊藤ふじ子と重ね合わされて北海道新聞の「訃報」へとつながっていくわけだ。

戦後、伊藤ふじ子の内心は、こういう「下衆の勘ぐり」によって苦しめられたであろう。

ふじ子の死の少し前、澤地は夫の森熊氏を通じて直接取材を申し込んでいる。

森熊氏は結局これを拒否した。

老女に50年前のショックを思い出させることは、いささか残酷なような気もするわけです。

というのが理由である。「50年前のショック」ということばに万感の思いが込められているようだ。

浮かび上がる等身大のふじ子像

澤地は森熊氏をふくむ周辺の人々から聞き取りを行うことによって、ふじ子という人物をあぶり出していく。それはふじ子の等身大の全体を知るには、むしろ好ましい方法であったかもしれない。

取材によって、「笠原」とは別の存在である「伊藤ふじ子」が少しづつ姿を見せ始めた。

それは澤地にとって意外とも言える人物像であった。そのあたりの気持ちを澤地は正直に吐露している。

仮説などという言葉は適当ではないかもしれないが、伊藤ふじ子は「笠原」のモデルであるよりも、むしろ「伊藤」のモデルだったのではないか。

おっしゃるとおり、適当ではないが、実感としてはよく分かる。

いくつかの証言は本人を彷彿とさせる貴重なものであり、その一部はこれまでも紹介してきた。

それ以外のところから2つほど。

高野といえば、多喜二からのラブレターを盗み読みして、あまつさえコピーしたふてぇ古本屋だが、戦後高野と会ったふじ子がこう語っている。

高野ちゃん、苦しくって死のうと思っていたのを彼(猪熊)に救われたのよ

(良いですね、こういうちょっととっぽい山の手弁。こういうセリフを聞いただけで道産子は夢中になる)

もう一つはちょっと若い時期、芝居にハマっていた頃の監督、金子洋文の証言

うまくもない女優だったけど、可愛い娘だったよ。美人じゃないけどね…