朝の頭の冴えているうちに、議論を整理しておこうと思う。

1.日本の紀元ゼロ年は西暦600年だ

疑いのない文字資料や事物で日本国が成立したといえるのは、飛鳥寺の建立と、隋への国書「日出処の天子、書を日没する 処の天子に致す、恙なきや」の堂々たる登場宣言である。

これより以前、欽明天皇の治世以前は、にわかに闇に包まれる。欽明の即位は540年と言われるが、これすらも怪しい。

もう一つ、540年の時点ではいまだに倭王朝は存在している。

三国史記によれば、561年7月 百済、倭国の支援を受け新羅と戦うが、敗北し撤退。このあと任那は滅亡し諸国は新羅の支配下に入る。このあと、三国史記に倭国は登場せず。

これで倭王朝は滅亡し、その勢力は蘇我氏を通じて大和政権に組み込まれていく、というのが大筋ではないかと考えている。

ただいずれにしてもそのような重大な仮定を含むような議論は到底歴史とは成し得ない。結局、大和政権を主軸とする日本国は550年ころからようやく、主体的な「歴史」として扱えうることになる。

それ以前の「日本」像は、街角の監視カメラで捉えられた犯人みたいなもので、生々しいが静止画像にすぎない。

それ以外は、考古学的方法で歴史の過程を積み上げていく他ないのである。もちろん様々な伝承情報もあるが、実証するものがない以上、それは神話の世界、すなわち先史時代なのである。

2.飛鳥時代前の時代区分

そうすると飛鳥時代前の時代区分は、基本的には考古学的知見に依拠することになる。

考古学的時代区分とは何か。世界共通のものとしては新旧の石器時代、青銅器時代、鉄器時代となる。この内新旧の石器時代が先史時代と呼ばれ、青銅器時代以降は文明時代と呼ばれる。

その後文明が拡大してくれば、とくに文字が登場すれば、これらの分類は必要なくなり、したがって用いられなくなる。

これが時代区分の基本的な論理である。

日本では縄文時代は旧石器時代である。弥生時代に新石器時代が到来した。しかし弥生時代の比較的早期に青銅器、そして鉄器が入ってくる。

かくして、弥生時代は新石器時代、青銅器時代、鉄器時代の3つの時代を含み、それらが駆け足でやってきた時代というべきであろう。

3.なぜ世界標準区分を用いないのか

なぜ世界標準区分を用いないのか。それは日本における文明進歩の後進性に基づく。それが世界標準区分のいちじるしい伸び縮みをもたらす。

このままでは旧石器時代が長すぎて、尺度にならない。逆に新石器時代、青銅器時代、鉄器時代が短すぎて、尺度としてはあまりに煩雑になるからだ。

そういう言い訳は成り立ちうる。だから旧石器時代の亜紀として縄文土器に特色づけられた一時代を提唱するのは大いに意味がある。

なお、日本では縄文時代を新石器時代にふくめるのが一般的だが、新石器時代の3つの特徴、磨製石器・土器の使用・農耕の開始のうち土器の使用を除けば、むしろ旧石器時代に入れるべきではないかと思う。(細石刃の出現を指標とし中石器時代とする説もあるらしい)

同じように弥生時代という時代区分も、とくに初期~前期段階では有効な概念だと思う。

それと気持ちの問題もある。縄文時代という時期区分があまりにも堅牢なために、「土器には土器で」対応しようという気持はよく分かる。

しかし、本来は旧石器時代から新石器時代への移行として何ら問題はないはずだ。世界の考古学者ならそう思うだろう。

弥生時代は渡来人が切り開いた文化だ。彼らは専業農家であり、然るがゆえに新石器人だ。水田・稲作という農業の形態は本質ではない。

同時に彼らは初期段階においては金属器を持たずに渡来している。だから新石器人なのでもある。