「弥生土器」(最近は弥生式とは言わないらしい)の相対年代を憶えるのはかなり面倒で、考古学屋さんの独壇場である。

しかも彼らは絶対年代を語ることにはきわめて慎重だから、そして慎重でなくモノを言う人は信用ならないから、こちらで読み解く他ない。

しかし、朝鮮半島で出土した弥生土器を考察する上では必須の知識となる。なぜなら朝鮮の歴史家が基本的に信頼できないからだ。

もう少し向こうが実事求是でやってくれれば、こんな苦労はしなくて済むのだが、何から何まで嘘っぱちだと言うんでは取り付く島がない。

小林分類

近畿地方の弥生土器を第I~第Vの5様式に分けたものがある。戦前に小林さんという人が提唱したものらしいが、現在も基本的には引き継がれている。
絶対年代も念頭に置いて、第I様式の時期を前期、第II~第IV様式の時期を中期、第V様式の時期を後期としている。

これに加え、弥生時代終末期に対応して庄内式、古墳時代前期に対応して布留式土器が提唱されるという極めて煩雑なものだ。

2017年01月27日弥生時代の絶対年代区分

もご参照ください。

しかも、これと絶対年代との照合は学者によってずいぶん違っている。これを指摘したのが安本美典さんで、安本さんが作ったのが下の表である。

近畿分類
              「邪馬台国の会」のサイトより転載

こうなると、こと近畿の弥生土器については、絶対年代はあてにならないと見て良さそうだ。考古学屋さんの独壇場であるということは、恣意がきわめて入りやすい分野だということでもある。


なお、安本さんの文章は徹底的に批判的であり戦闘的である。したがって、いささか読み解くのはしんどい。

弥生土器の時期分類は九州北部をベースに行うべきだ

ただ、そもそもこの時代において近畿は弥生文化の後進地であり発信地ではない。土器の分析をいくらやっても、それが九州や吉備から持ち込まれたという可能性は否定できない。かなり虚しいのだ。

純粋に自らの技術で生み出したといえるのは庄内式と布留式、つまり「古墳時代」の土器のみだ。したがって、近畿の土器の編年は庄内式・布留式土器の出現を除けば部外者にはほとんど意味がない。

それと、前から言っていることだが、近畿には銅鐸文化というものがあり、これが消滅・廃棄されるという考古学的大事件がある。客観的に見て銅鐸文化を破壊し葬り去った勢力があり、それが前方後円墳を建設しているのである。

これを組み込まない編年表づくりは、片端としか言いようがない。

弥生土器の経年変化を見ようとすれば、やはりその発信地である九州北部の時代変化を追うべきであろう。

とくに九州北部ではもう一つの考古学的メルクマールである銅鏡があるので、銅鏡の経年変化と撚り合わせながら絶対年代の検討を行うことが可能である。(近畿で不可能とは言えないが…)

さらに、九州北部においては朝鮮半島南部、とくに任那地域との比較ができるという優位点もある。

だから、まず九州北部で基本となるタイムテーブルを作って、その波及的変化として近畿の弥生式についても検討すべきであろう。


濱田延充さんの「弥生土器様式概念の形成と日本考古学」という文章を読むと、なぜこのような晦渋な議論が延々と続いているかがわかってくる。

考古学界は一種の土器フェティシズムに陥っているようだ。それは言語学でソシュールの解釈「学」がいまだに続いているのと似ている。

有力教授が就職口を握っていて、それに逆らっていては飯の種も発表の機会も閉ざされる。だから戦前からの無意味な分類が100年も生きながらえていくのである。

この閉塞社会を学生・院生・若手研究者が打破しない限り、物言えぬ世界は続くし、第二の旧石器スキャンダルは必発であろう。