蘇我韓子(そがのからこ)の戦いぶりが日本書紀に示されている。

4人の将軍は朝鮮半島へ渡り、新羅王を一時敗走させるほど奮戦した。紀小弓は渡海後間もなく戦死する。代わりに小弓の息子紀大磐が参戦する。

この紀大磐が大変困った人物だった。

かれは父の兵馬を引きつぐに飽き足らず、戦闘の指導権を求めた。そして小鹿火宿禰の兵馬と船官を配下に収めようとして、小鹿火宿禰と対立した。

小鹿火宿禰は韓子に、大磐が韓子の兵馬も奪うつもりであると警告した。状況を知った韓子も大磐と対立するようになった。倭軍の内紛を知った百済の王は、二人の仲を保とうと調停に乗り出した。

百済の王は大磐と韓子を(任那と)百済との国境まで呼び出した。二人はなぜか連れ立って、会見場所の国境に向かった。

その道中、河にさしかかり馬に水を飲ませたところで、韓子が大磐を後ろから弓で射た。しかし矢は大磐の馬の鞍に当たり、大磐に傷を与えることはなかった。

射撃を受けた大磐がとっさに射返したところ、その矢が韓子に当たった。韓子は落馬して河でおぼれ死んだ。

ということで、たいへん冴えない結末に終わっている。

しかしこの記事は大変重要な内容をふくんでいる。

1.465年3月という記載

ここまでしっかりした絶対年代の特定は、大和政権のよく成しうるものではない。河内王朝の天皇家の記述ははるかにおおらかで大雑把なものだ。

直接の出典は百済本紀ではないだろうか。ただし稲目の年齢を考えれば、465年という年はもう一回り降るのではないか。すなわち525年である。

歴史的に見て、465年当時の新羅には百済に対抗するほどの力はない。新羅が三強の一角を占めるのはようやく500年すぎ(智証王・法興王)からである。

そうするとこれは百済の武寧王の死、筑紫の君磐井の乱、継体天皇の即位と死という波乱の時代に直接つながる事件となる。

平仄は全てあってくるのである。

2.朝鮮出兵を命じたのは倭王武か?

この事件を525年とすると、倭王武(日本書紀では雄略に比定)が存命だったとは考えにくい。

倭王武は、かなり長期政権だった。最初の遣使が478年、最後が502年である。中国側文書で確認できるだけで24年だ。

逆に465年とすると、最初の遣使を遡ること13年前に、朝鮮侵攻を指示する立場にあったかどうか、これはかなりの疑問である。

3.4人の将軍

彼らは「四道将軍」と同じく、おそらく王族に属する人物であろう。なかでも紀小弓の軍が最精鋭であったようだ。

彼らは勇猛に戦ったが、紀小弓が戦死するにおよんで、内部に不団結が生まれた。おそらく戦線が膠着し、ロジスティックが齟齬をきたしたのではないか。

4.紀大磐は九州王朝の意向を反映していた

紀大磐はトップリーダーの後継者として、九州王朝の意向を担って着任したと思われる。

したがって兵器、兵糧で優位に立つと同時に、お上をバックにした権威を持って着任したことになる。

彼の主張は戦線の統一と自らの最高司令権だった。だが残りの三人の将軍は面白くない。自分の息子のような若造に命を預けろというのだ。

そこで韓子が大磐の暗殺を企むのだが、返り討ちにあってしまう。

5.韓子死後の国内外情勢

それで倭軍が統一され勢いを盛り返すのなら良いのだが、その後の状況を見るとどうもそうはならない。盟友たるべき百済も、武寧王の死後とんと勢いがない。

倭王朝は兵力の逐次投入という軍事上最悪の事態に追い込まれる。

そして明けて526年 新羅が南加羅を占領した。これに対し倭国は全国に動員をかけ、渡海攻撃の準備に入る。

このとき筑紫の君磐井は「新羅と通じ」、渡海攻撃に反対した。「新羅と通じた」かどうかは問題ではない。おそらく「もう戦争はやめよう」と言っただけだろうと思う。しかしそれは主戦派から言えば「利敵行為」そのものだ。

こうして527年、筑紫の君磐井の乱が発生する。多分乱を起こしたのは磐井の方ではなく主戦派の連中だったろう。

筑紫と言っても主たる勢力範囲は今の筑後だろうと思う。戦争が始まれば一方的に食糧基地として徴発される立場の地域だ。

6.蘇我高麗はどうしただろうか

韓子は戦団の司令官として朝鮮半島に出向し、そのまま死んでしまったわけだから、比較的若くして亡くなったのだろうと思う。

つまり490年代の生まれと思われる。これに対し、稲目は生年不詳(一説に506年)で没年が570年だ。享年64歳ということになる。

よく分からないが、20で娘をもうけ40で娘を天皇家に嫁がせ、権力を得て生涯を終えたというなら、この歳数はまぁ妥当なところではないだろうか。

そうすると、高麗が入り込む余地が無い。とすれば、三人のうちどれかは親子ではなく兄弟だったのではないかという推察が浮かんでくる。

ただこれは韓子の死を勝手に60年間降らせた上での推察だから、推察というよりは妄想に近い。あまり深みにはまらないようにしなければならない。