砂原遺跡をどう見るか

砂原遺跡: 成瀬敏郎論文の抄録によれば、

2009年8月8日に、島根県出雲市多伎町に発達する海成段丘堆積層を覆う古土壌から、玉髄製の剥片1点を発見した.

さらに同年8月22日からの予備調査において露頭面に表れた同層中から5点の人工的に打ち欠いた石片が確認された。

これを受けて,同年9月16日~29日にトレンチ掘削による本調査が実施れた.

この結果,約12万年前に形成された古層中から流紋岩や石英製の石器,石核,砕片,破砕礫など15点が出土した.

これらは日本で最も古い石器である可能性がある.

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2009年といえばポスト藤村の時代である。

砂原遺跡に関する報道や「論評」はかなりの数にのぼる。その多くが眉にベッタリと唾を付けたものである。 

日経ビジネスの2009年10月の「武田ジャーナル」というコラム

砂原遺跡の学術発掘調査団(団長・松藤和人同志社大教授)が、中期旧石器時代の約12万年前の地層から、旧石器20点を発見したと報告。

最古とされてきた金取遺跡(岩手県遠野市、約9万年前)を約3万年さかのぼる可能性がある。

産経新聞は「捏造問題以降、3万5000年前より古い旧石器研究はタブーになった。今回の調査は、及び腰だった研究者を励ますことになるはず」との松藤和人教授のコメントを載せた。

1949年に群馬県で行われた岩宿遺跡の発掘で2万5000年前のものとされるローム層から遺物が見つかった。

その後、旧石器時代の遺跡が全国各地で見つかるようになったが、いずれも後期旧石器時代(約3万から1万年前)のものだった。

その後、東北大学の芹沢長介氏は、大分県の早水台遺跡で10万年前の石器を発見したと1964年に発表。「前期石器時代はあった」と主張した。

彼の下には志を同じくする弟子たちが集まった。アマチュア考古学研究者だった藤村氏もその1人だった。

と、無料で読めるのはここまで。

自費出版のリブ パブリのブログ 09年10月

今回は、出土した地層の年代が分かりやすいことが特徴だ。年代の根拠は、まず確かだろう。

しかし、石片を観察した稲田孝司・岡山大名誉教授は、接合資料がなく、剥離面が不明瞭などと、石器と認定するのを保留している。

さらに「石器」がまとまりのない散漫な出方をしているのも、問題点の1つだ。石器屑の随伴もないので、人類がここで何をしていたか不明確なのも、大きな弱点である。

東アフリカでは、260万年前の初歩的石器が見つかっており、それは元の石塊にまで復元できるほど、多数の石器が接合する。

もしこれが本物なら、それを残したのは、我々ホモ・サピエンスではなく、おそらくホモ・エレクトスであったということになる。

黒く光る石と黒く動く虫 09年10月

「白石先生のコメント」を紹介している。

私は日本考古学協会で、後期旧石器時代をさかのぼる石器群の評価は次の点の確認が必要と提示しています。

①石器に残された明確な加工痕 人為的な二次加工により石器が製作されていること。

②遺跡が、礫層や崖錐性堆積物などでない場所に存在すること。

③確実な層位的な出土 上下に由来の明らかな火山灰があり、層位的な位置づけが明確であること。

④石器が単独ではなく複数の資料によって確認でき、なおかつ接合資料によって同時性が認められること。

そのうえで、

我々がまず行なうべきことは、誰もが認める後期旧石器時代開始期の石器群の多角的・総合的な研究を蓄積することであろう。

と結論づけている。

日経新聞 2013年6月

砂原遺跡の学術発掘調査団が、石器36点について、11万~12万年前の「国内最古」と結論づけた。

層の中に三瓶木次火山灰が含まれていることから、約11万年前と判断したという。

松藤和人さんという人だが、芹沢さんの失脚の後、こちら方面の第一人者になっているようだ。

砂原遺跡での快挙に続き、2016年5月には松藤教授率いる学術調査団が長野県大町市平の木崎湖畔の小丸山で、約8万年前の地層から石器と見られる流紋岩を発掘した

という記事がある。発見のきっかけは、

日本旧石器学会の会員である杉原保幸さんが、木崎湖畔で採集した石が石器ではないかと松藤教授に鑑定を依頼したことから始まった。

とあるので、これもどこかで聞いたことがある経緯だ。