「国家隠密法」違反

幕末の頃、最上徳内という探検家がいた。千島や樺太探検で名を馳せた人で、間宮林蔵の兄弟子格だ。

1789年に、根室と対岸の国後島でアイヌの大規模な反乱が発生した。松前藩は酋長たちに言い含めて、首謀者を自首させた。

その上で討伐隊を送り、詮議の上37名を打ち首とした。首は松前に持ち帰られ晒された。

ときあたかもロシアが北海道進出を狙う不穏事態にあり、幕府は事件に驚愕し、松前藩の統治能力を疑った。

かねてより蝦夷の事情に詳しい最上徳内らを派遣し調査にあたらせた。最上徳内は国後・択捉に渡り聞き取り調査を行った。

アイヌ人に日頃より親近感を覚えていた最上は、和人の横暴に激しく怒った。そして報告書の中で承認ばかりでなく松前藩まで断罪した。

幕府としては大いに感じるところがあったと思われる。それはその後の行動で明らかだ。10年後には東蝦夷地を直轄とし、その後さらに松前藩の北海道支配権を奪い、奥州梁川に転封している。

しかし、最上はその激しい糾弾のゆえに危険人物とみなされた。その結果つけられたのが「国家隠密法違反」という名目である。

最上は公儀で情報収集しながら、幕府に裏切られる形で入牢する羽目となった。このエピソードが、何か今日の共謀罪法案と結びついているように思われてし