穴居こそ縄文文化の本質的特徴

ふと思う。「縄文」という言葉を使うのがそもそも矛盾しているのだが、「穴居」こそ縄文文化のより本質的な特徴ではないか。

穴居(竪穴住居)そのものは、北方系民族にはよく見られる住宅形式であるが、弥生人と遭遇し、その文化を吸収する過程でいち早く失われていく習慣である。

ブナ林と古代史」というブログに、江戸時代樺太アイヌの住居について以下のような記載がある。(何の事はない、瀬川さんの文章だ)

地面を深さ1m前後四角に掘り下げ、屋外に通じる煙道を壁に堀崩してカマドを設けるとともに、4本の柱の外周にムシロなどを敷いて寝床とし、その内側を土間とするものであった。

…北海道では擦文文化以降平地住居が普及し、竪穴住居の伝統が中世の間には絶えてしまった。

なぜ住居にこだわるかというと、続縄文までは良いとしても、擦文土器を時代区分の象徴とすることに無理があるように思えるからである。

大和政権の歴史においても、弥生時代を最後にもはや土器による時代分類は用いられず、古墳・飛鳥・奈良時代と続いていくのである。(これ自体ずいぶんご都合主義的な区分だが)

北海道南部の縄文遺跡を見ても、背丈を超えるほどの巨大な竪穴こそが最大の特徴である。

また、肥前風土記などでも、王朝側に抵抗した先住者が穴居生活を行っていたことが示唆される。

擦文土器にこだわらずに擦文時代を眺めると、平地型住居のフロンティアが上陸し、徐々に北上し、やがて北海道全土を占めるに至る時代ということに本質があるように思える。

そして、平地型住居に住む縄文人というのがアイヌ文化の本質であるように思える。

擦文文化における住居はきわめて折衷的である。竪穴住居だが、中央の炉に代わり壁際にかまどがすえられている。この時期に一致して「北海道式古墳」も出現している。