先日、江別市郷土資料館を訪ねたが、縄文式土器の威圧的なまでの激しい押し出しと比べ、擦文式というのはなんとなく精気がない。東北エミシの落ち武者がひっそりと暮らしていたのであろうか、しょぼくれた印象が拭えない。900年ころを境に自然消滅していくということだが、さもありなんと納得させられる。

それは、江別・札幌の擦文土器文化を中核としてこの時代を擦文時代とすることが果たして適当だろうかという議論に発展する。

結局、奥州の安倍一族の没落を最後に岩手➖八戸➖道央低地帯という交易ルートは表向き消滅し、秋田を拠点とする日本海側交易ルートに一本化されていったのではないだろうか。

そうすると、道央低地帯の擦文文化が衰退消滅していく過程が理解しやすいように思える。そして「エミシ+続縄文人の拡散」という事態は、道央低地帯の没落を乗り越えて、遥かに大規模に全道・樺太・千島へと広がっていく。

そしてそれを追いかけるように和人の東北北部・北海道への進出が進んでいく。

後者を須恵器文化と呼ぶなら、この時代は擦文・須恵器併存時代と呼ぶほうが適当ではないだろうか。そして最終的には須恵器文化に擦文文化が吸収され、さらにオホーツク文化の一部も取り込むことでアイヌ文化が成立していくのはなかろうか。