続縄文時代の北海道は、瀬川さんによれば、以下のように特徴づけられる。

1.交易拡大による宝物の流入

希少な交易産品を独占保有することで、独占的な権益を得た。彼らは和人社会が拡大すればするほど豊かになる仕組みを享受した。

現代で言えば産油国の王様が豊かになるのと同じ経済メカニズムだ。このように豊かな国が、苦労して稲作などする必要があるだろうか、と瀬川さんは問いかけている。

2.狩猟への特化

続縄文人は、農業に携わる努力を狩猟の大型化へと集中した。

瀬棚では、数十の工房跡、数千点のメノウ製のドリルが発掘され、毛皮やなめし革製造のための専門工房の存在が確認されている。

いっぽうで寒冷化は進み、生業的な集落の維持は困難となった。道央・道北の広大な地域が無人の野と化し、そこにオホーツク人が進出してくることになる。

3.「海民」の発達

貿易を担う海上輸送インフラが大いに発達した。北海道の産品は西は秋田、東は八戸あたりに持ち込まれ、和人(バイリンガル)化したエミシとの間で「取引」され、「商品」となった。

「商品」の和人地域への輸送を担ったのは、主として北部九州の「海民」だったと言われる。

それは朝鮮半島から北九州にかけての風習であった「卜骨」が、道内各地で発見されていることから裏付けられる。(しかしY染色体のC1ハプロは青森止まりだ)

このあと話は少し脱線する。

この北九州の「海民」は、東北・北海道の縄文人とも、渡来した弥生人とも異なる特徴を持つ「縄文」人であった。(C1ハプロや、ATLウイルス抗体の分布との相関はあるだろうか?)

4.生産・輸送手段の大型化に伴う階層分化

墓の副葬品を見ると、この時代、首長が富のほぼすべてを独占している。