日本古代の「土蜘蛛」アンソロジー というページが面白い。
『肥前国風土記』「賀周の里」の項に以下の一節があるという。昔、この里に土蜘蛛あり、名を海松橿(みるかし)姫といひき。天皇、国巡りしましし時、陪従、大屋田子をやりて、誅(つみな)ひ滅ぼさしめたまひき。時に、霞、四方をこめて物の色見えざりき。因りて霞の里といひき。
この「土蜘蛛」は肥前だけのものではなく、記紀や全国各地の風土記に登場する「一般名詞」である。
「つねに穴の中に居り。故、賤しき號(名)を賜ひて土蛛といふ」(摂津国風土記 逸文)都知久母(つちくも)、夜都賀波岐(やつかはぎ)などの反乱勢力があり、指導者は「國巣」(くず)と呼ばれた。「狼の性、梟の情」だったため、茨を穴に仕掛けた罠で殺した。(常陸国風土記)
5世紀末ころから九州で横穴式住居(墓?)が始まり全国に広がっているということで、それとの関係もあるのだろうか?
2.天皇に逆らえばすべて土蜘蛛
そもそも神武東征に逆らって殺された八十建(やそたける)も「尾ある土雲」と呼ばれ、だまし討された。
ブログ主は「各地の先住勢力」と言っている。もともとどうかは分からない。縄文人だという説もあるが、明らかに弥生系、天孫系と思われる土蜘蛛もある。
が、何れにせよ叛徒である。そしてその殆どが大和朝廷の勢力によって皆殺しにあっている。いったい「狼の性、梟の情」なのはどちらなのか。
3.土蜘蛛は強力な武装集団だった
「徒衆百八十餘りの人を率い、皇命に逆らいて、降服(まつ ろ)ひざりき」(肥前国風土記)「土知朱(つちくも)らは力を合せて防ぎ、かつ津軽の蝦夷とはかって、多くの猪鹿弓・矢を城壁に連ねて、官兵(みいくさ)を射つ。このため官兵は進めず」(陸奥國風土記 逸文)
ボスは八握脛(やつかはぎ)と呼ばれた。「其の脛の長さは八つかもあり、力多くはなはだ強し。…その属類多し」(越後國風土記 逸文)4.土蜘蛛はシャーマン系が多い
また九州、とくに肥前では女性のリーダーが多いのも特徴だ。女性=シャーマンと決めつける訳にはいかないだろうが、小卑弥呼の如き存在なのか。
肥前国・佐嘉の郡・・・・大山田女、狭山田女
肥前国・賀周の郷(唐津市見借)・・・・海松橿姫(みるかしひめ)肥前国・嬢子山(多久市両子山)・・・・八十女(やそめ)
肥前国・彼杵の郡(大村市)・・・・速来津姫肥前国・浮穴の郷・・・・浮穴沫姫(うきあなわひめ)
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