以下は、ヴォーヴィンという研究者による論文の抜書である。

萬葉集と風土記に見られる不思議な言葉と上代日本列島に於けるアイヌ語の分布_AlexanderVovin

はじめに

アイヌ語と日本語との関係は非常に複雑である。

ここ八年間に私の研究の焦点は日本列島諸言語とその周辺の諸言語の接点ににある。

今回は主にアイヌ語から日本語への借用語を検討する。さらに上代日本列島におけるアイヌ語の分布について考える。

伝統的な意見は、「上代日本語にはアイヌ語からの借用語は殆どない」というものである。

 しかし、以下で示すように、アイヌ語が上代日本列島において少なくとも東北地方の全地域で話されていたということは、もう定説になったと言ってもいいであろう。

地名はいうまでもなく、東北の方言には「山の言葉」として残っているアイヌ語の言葉もある。


①武蔵

ムサシは万葉集の東国歌では「牟射志」として登場する。発音は“munzasi”である。これはアイヌ語で mún「草」、sa「野原」 、-hi 三人称所有接尾辞(日本語では -hi は -si になる)である。

②足柄

東国歌では「阿之賀利」/asiŋgari または「安思我良」/asiŋgara として登場する。áskar-i は「清い所」である。

③能登

「能登」(上代日本語 nötö)は日本語では解釈でき ないが、アイヌ語の not「岬」である。上代日本語には閉音節がなかったので反響母音ö が付いたと思われる。

こう考えていくと、我が故郷静岡は縄文地名だらけだ。ゆい(由比)、そでし(袖師)、えじり(江尻)、くさなぎ(草薙)、するが(駿河)、てごし(手越)、わらしな(藁科)、もちむね(用宗)、とうめ(当目)、やいづ(焼津)、しだ(志太)などいかにも当て字の意味不明地名がオンパレードだ。
そのど真ん中に「日本坂」があるのが、いかにもだ。

このあとさらに地名考が続くが、“とんでも韓国人”も真っ青の牽強付会も混じってくるので飛ばすことにする。