「銀座カンカン娘」は昭和24年に上映された同名の映画の主題歌だ。歌がヒットしてそれをネタに映画が作られるというのはよくある話だが、こちらは正統な主題歌だ。
監督は山本嘉次郎、話の泉だったかトンチ教室だったかの常連だった記憶はある。
「カンカン娘」につてはよく知られた逸話がある。これは山本嘉次郎の造語であり、当時の売春婦の蔑称「パンパン」に対して「カンカンに怒っている」という意味だそうだ。
つまり体を売る女性を非難しているのではなく、そうしないと生きられない戦後の世情に対して腹を立てている気持ちを表現したものだそうである。
最初はパンパンというのは米兵相手の売春婦である。それが売春婦一般にまで広がっていくのだが、24年という年がどういう年であったのかはよく分からない。
チリチリのパーマに真っ赤な口紅、派手なカーディガンを羽織って、素足にサンダルというのがお定まりであった。
それが昼日中に銀座の街を闊歩するというのだから、たしかに異形である。皆が眉をひそめるときに銀座生まれの銀座育ちという山本嘉次郎が、「いいんじゃない」と声を上げる、それが銀座のカンカン娘である。
そこには「あんた、そんなこと言えた義理かい」という鋭い切り返しがある。
私は前稿で挙げた賀川豊彦のセリフが頭に浮かぶ。それは「闇の女に堕ちる女性は、多くの欠陥を持っている」と言い放つ賀川への痛烈なしっぺ返しであろう。
この歌の三番には密かにその刃が忍び込まれている。
指をさされて カンカン娘ちょいと啖呵も 切りたくなるわ
家がなくても お金がなくても
男なんかに だまされまいぞよ
これが銀座の カンカン娘
家がなく、お金がなく、人に指を差されて、ナニクソと虚勢を張って、それでも「あの子可愛や」と言われたくて、というのがカンカン娘(数年前まで大和撫子だった)の心の中である。
家がなくお金もないのは私のせいではない。人を戦争に巻き込んで無一文にして置きながら、頬っかぶりしているあんたたち世間のせいだよ。
「男なんかに、だまされまいぞよ」と言うのは「もう二度と」という意味で、騙されたからこうなってしまったのであって、騙したのは他ならぬ日本政府である。もっと直截に、そこを非難したのが、「ブラウスの腕をまくり 卑屈な町をのし歩いた」茨木のり子の、「わたしが一番きれいだったとき」だったのだろう。
それにしても、家もお金もなくて「雨に降られて カンカン娘 傘もささずに 靴までぬいで」この娘はどうしたのだろう。
2015年04月06日 昭和24年 東京カンカン娘 もご参照ください。
多分、リンクを辿ってくれる人はそう多くはないだろうから、茨木の歌を再掲しておく。
わたしが一番きれいだったとき
…わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
…
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた
ついでに自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ も再掲しておく。

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