赤旗のラ・テ欄の片隅の記事。
意外な事実が記されていたので転載する。

永六輔
ファクトとしては
1.永六輔は60年の安保で毎日のようにデモに参加した。
2.安保後の挫折感の中で、反戦歌「上を向いて歩こう」が作られた。
3.しかし坂本九の“ふにゃふにゃ”歌唱は永六輔をがっかりさせた。
4.そのため、永六輔は葛藤の末に引退を宣言した。
初めて聞いた話ばかりだ。
生前は明らかにしにくかったのか?

私にとってはかなりの大ニュースだ。もう少し詳しく知りたいと探してみた。
WOOM-song.clubというサイトに
永六輔の生き方に学べ!『上を向いて歩こう』作詞秘話
という話が載っていた。著者は野口義修さんという方。
ここに経過がかなり詳しく説明されている。
読んでいただければよいのだが、かいつまんで紹介しておく。

1961年7月21日、第三回中村八大リサイタルにおいて「上を向いて歩こう」が発表されました。
このとき永六輔は28歳、中村八大が30歳、そして坂本九は19歳だった。
どうも坂本九というより中村八大の曲に対する不満が先にあったようだ。
自分の思いを込めた歌詞を、メロディーと歌い方で台無しになされた! こんな下手な歌と歌詞に対するメロディーの組み立ても許せない!  と烈火のごとく怒り心頭だったそうです。
なぜそこまで怒ったのかという背景が、60年安保闘争だ。
永さんは、実際に自分もデモに参加した1960年の安保闘争での敗北をテーマに歌詞を書きました。それが、「上を向いて歩こう」です。デモの帰り道、泣きながら夜空を見上げた思い出の歌詞だったのです。
…永さんは、安保デモに出るために、自分が台本を担当していた番組を降板しています。プロデューサーから、「君は、番組をとるかデモをとるか?」と詰問され……「デモをとります」と
これには後日談があって、

いろんな仲間や歌手から、あの歌はヒットするわ! と太鼓判を押されて、素直に「自分が分かっていなかった!」と認めたそうです。

とは言え、いい時代だったのだと思う。1960年代というのが、理由はどうであれ「上を向いて歩く時代」だった。大人はけじめと責任を自覚していた。