青銅器時代(the Bronze Age)
三時代区分法
青銅器時代、鉄器時代は先古代の区分として用いられる名称である。
1836年にデンマークの考古学者トムセンが、「北方古代文化入門」を発表。この中で石器時代・青銅器時代・鉄器時代の「三時代区分法」を提示した。
トムセンは、この区分はスカンジナビアとその周辺地域に適用できるとしたが、その後、世界的にこの指標が持ちいられるようになった。
もちろん国家形成の段階と青銅器の導入は一義的に一致するものではなく、導入の時期も地域により異なるが、ユニバーサルな指標として依然有用である。

青銅とは何か
本来、「青銅」は10%前後の錫を含む銅合金の意味である。しかし天然の状態で錫と共存し、「青銅」として採掘される場合もある。
本来の青銅は光沢ある金属で、錫の量が少なければ純銅に近い赤銅色、中等量であれば黄金色、大量の場合は白銀色となる。
「青銅」の名前は、表面が錆びた状態を指している。表面に緑青が形成されるとサビの浸透が防がれ、劣化しない。
硬度は錫の添加量が多いほど上がるが、同時にもろくもなる。

金石併用時代
人類は石器時代から一気に青銅器時代に移行したわけではない。その間に金石併用時代があった。最も多く使われたのが自然銅であったから銅器時代とも言う。
銅は硬度が不足しており、石器を完全に駆逐することはできなかった。
この時代の後半には冶金技術(銅の溶解温度は約1100度)が発生した。これにより自然鉱物だけでなく金属鉱石を精錬するようになり、対象金属が拡大した。
その一つであるスズは、融点が低く、錫石からの精練が容易であるため、早くから実用化された。
そしてスズと銅の同時溶融法で青銅が開発された。

青銅器は何をもたらしたか
生産技術への貢献、軍事力への貢献については別に考察するが、それとは別に以下の波及効果が挙げられる。
持てるものと持たざる者への差別の拡大。農民に並ぶ新たな社会分業(鉱工業、商業)の出現、したがって都市(非農村としての)の出現。原料・製品の確保、あるいは輸送による交通・交易の拡大。祭祀用具の発達による宗教の変容(偶像崇拝・物神崇拝)。
さらに持てる国家の版図拡大も見られた。モンゴルにおいて青銅器時代にコーカソイドの進出が認められたという(松村ら


青銅が鉄に代わった理由
青銅は銅に比べて硬く、研磨や鋳造・圧延などの加工ができる。しかし硬さと強度で鉄に劣る。
何より鉄に比べて採掘可能な量が少なく資源が偏在しており、コストが高い。
青銅は兵士の実戦武装にも各種の農具にも用いられることはなかった。その変革的役割は鉄よりにはるかに劣る(角田文衛)


青銅器時代年表(完全な形で青銅器時代が全うしたのはメソポタミアのみである)

紀元前3500年 メソポタミア・エジプトで青銅器時代がはじまる。

紀元前3100~2700年 黄河最上流部に馬家窯文化が興隆。青銅器の使用が確認されている。

紀元前3000年 中国で金石併用時代が始まる。実用品を中心に青銅器の流通も始まる。

紀元前2350年 アッカド王サルゴンがメソポタミアを最初に統一。その後、バビロニア、カッシートなどの広域王朝が交代を繰り返す。

紀元前1500年 アナトリア高原にヒッタイト王国が出現。

紀元前1500年 中国で殷・周時代が始まる。この間が中国における青銅器時代とされる。青銅製の武器は春秋戦国時代を通じて主流であった。

紀元前1500年 エジプトでは原料確保が困難だったため、展開不十分のまま鉄器時代へ移行。

紀元前1200年 ヒッタイトが滅亡。製鉄技術がオリエント全域に流出する。これを機に中東での青銅器文化は一気に終焉。

紀元前300年 西方の新興国である秦が、鉄製武器を背景に全国を統一。

紀元前2世紀 本格的に青銅器が日本に流入。鏡・矛・剣・戈の武器、銅鐸、やりがんななど。間もなく鉄器も伝来したため、青銅器は主として祭器として使われ、実用品としての青銅器時代を経過することなく終わる。