長江文明 の流れ
まず長江人がどういう人種なのかを抑えておきたい。
2016年10月22日の一部を再掲しておく

5.O1、O2人とO3人

O3人は現代の漢民族で、他種族を圧倒している。しかし長江文明の担い手はO1、O2人だった。

3つの遺跡から発掘された人骨のY染色体を分析した研究が紹介されている。

龍山文化(黄河文明)

BC2000頃

O3、O3a

長江中流

BC1000頃

O2a、O3

長江下流

BC3000頃

O1a、O2b

年代を見ても、漢民族がO1、O2人を駆逐した様がありありと分かる。


3万年前 ハプログループK2からNOが分岐。南方ルートで東南アジアに進出。

ハプログループOがO1とO2に分かれる。O2はOグループ中最大の人口を持ち、中国北部に特に多い。

(2015年11月にISOGG系統樹が改訂され、旧O1と旧O2は現在はいずれもハプログループO1のaとbとなっており要注意。O2は旧O3)

2万5千年前 ハプログループO1がO1aとO1bに分かれる。O1aは中国南部、台湾先住民に多い。

ということで、長江流域に入り長江文明を作ったのはO1b人だ。O2人(旧分類のO3人)はその間にもっと北へと進んだ。

O1bはやがてO1b1とO1b2に分かれる。

O1b1は東南アジア、中国南部に多い。O1b2が朝鮮半島に渡った長江人と見られ、日本列島、朝鮮半島に多い。

長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し、百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、日本列島、山東省、朝鮮半島へ渡った(崎谷)という説得力のある主張がある。

O1b2にはa1aとa1bという2つのサブタイプが見られ、a1bは朝鮮半島にも存在するが、 a1aは日本国内のみである。


続いて、ウィキペディアの年表を転載する。

長江文明年表

上記表を基準としながら、経過を説明する。なお中国先史時代年表の絶対年代は、学術文献もふくめて相当誤差があり、盲信しないこと。

60万年 山西省で頭骨の化石が発掘される(1963年)    
40万年 北京原人(1923年発掘)    
5万年 - 紀元前35,000年 石器時代後期

1万4千~1万2千年 湖南省玉蟾岩(ぎょくせんがん)で稲の籾殻が発見。野生種と栽培種の特徴を、またジャポニカ米とインディカ米の特徴のいずれも併せ持つ。
1万2千年 “栽培された稲”が発見(江西省 仙人洞)。焼畑による陸稲栽培とされる。その後、1.9〜2万年前とみられる土器片280点が発見される。
8千年 湖南省八十垱(だん)に最古級の環濠集落。
7~6千年 湖南省 彭頭山で最古の水稲栽培(散播農法)が確認される。
7~5千年 最初の黄河文明となる裴李崗文化(河南省)。アワなどの雑穀を中心とした定住農業が行われていた。
6~5千年 陝西省に老官台文化。粟作などの畑作農業。
6~5.5千年 河北省に磁山文化。粟作などの畑作農業。
6~5.4千年 遼寧省に興隆窪文化。環濠内部が2万平方mもある大集落。
5~4千年 長江下流域の河姆渡(かぼと)で大量の稲モミ(ジャポニカ)が発見される。高床式建物も確認される。ほぼ同時期に長江河口から杭州にかけて馬家浜(まかほう)文化。
5~3千年 黄河中流域(河南省)に仰韶文化。裴李崗文化と老官台文化が融合したものとされる。農村の階層化も始まる。非常に経過の長い文化で後期には4種の文化を取り入れ発展。(別項を要す)
4~3千年 長江中流域(重慶)に大渓文化。灌漑農法が確立され、住居地が平野部へ移動
3.5~2千年 浙江省に良渚(りょうしょ)文化。貯蔵穴や井戸など安定した定住生活
3~2.5千年 長江中流域に屈家嶺(くつかれい)文化が登場。この頃に長江文明は最盛期となり、分業や階層化も進んだ。
3~2千年 山東省に龍山文化。城壁がある集落の跡
2.5~1.8千年 湖北省 石家河(せっかが) に大規模な都城。黄河流域の部族と抗争したと考えられる。
石家河の終焉をもって長江文明は消滅。(黄帝と神農や蚩尤の対立などの伝説は、黄河文明と長江文明の争いを表しているとされる)
2100     夏王朝が建国される。考古学的には二里頭文化と一致。
歴史的には夏が最も古い。それ以前の三皇五帝(伏義、神農、黄帝、堯・舜)は先史時代とされる。
1700 黄河流域に青銅器が登場。小麦と同じ北方ルートを通じて製造技術が流入した。
1600     夏が滅亡。殷(商)が興る。考古学的には二里岡文化と一致。
1600~1000 四川省に三星堆(さんせいたい)文化。仮面・人像・神樹などの大型青銅器が製造される。(鳥飼行博研究室のサイトを参照のこと
四川の銅鐸
三星堆の銅鐸
四川人頭
三星堆で出土した人面(青銅)

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