アイヌ人は北から来たのではなく奥羽地方から進出した毛人ではないか。

なぜ思いついたかというと、ずっと縄文人とアイヌ人のDNAの差について悩んできたからだ。

アイヌ人はY染色体で言うと縄文人と同じD型のハプロをもっていて、その頻度は東北地方以南のどの地域より高い。しかし女系の血統を示すミトコンドリアDNAから見ると、縄文人というよりは明らかに環オホーツク海種族の遺伝子を強く引いている。ニブフなど樺太系ばかりではなく、カムチャッカ系の遺伝子も交えている。

とても縄文人の末裔と呼べるようなものではない。

つまりアイヌ人は縄文人とオホーツク人のハイブリッドということになる。しかも明らかにオホーツク人社会に縄文人が侵入して、有り体に言えば侵略して、男を皆殺しにして、女を娶ってできた人種だということになる。

これまで私は、樺太経由で何波かにわたって北からの移民の集団があり、その最後の集団がアイヌではないかと思っていたが、そのような推測には根拠がないことが分かってきた。

アイヌという「民族」が登場するのはそんなに古いことではない。少なくとも紀元前ではない。しかしD型ハプロタイプは遅くとも紀元前3000年ころまでに、日本(とチベット)を除く地域には存在しなくなっている。

北海道で言う擦文土器文化の時代以降に、あらたにD系の集団が北から入ってくることはありえない。

であれば東北・道南の縄文人が全道に拡散してアイヌ民族を形成したとしか考えられない。

紀元0年を中心として前後1千年ほど、日本列島の気候変化は非常に大きなものがあった。これに伴い縄文人生活圏で著しい人口変化があったと考えられる。とくに限界地域である北海道ではその影響は大きかったと考えられるから、北海道における縄文人はほぼ絶滅した可能性もある。

その間隙を埋めるように樺太や千島からオホーツク人が進出し、寒地に適応した独自の文化を形成したと考える。

これから先は推測になるが、阿部比羅夫が戦った「粛慎」はオホーツク人ではないか。戦闘の場所は石狩川の河口付近ではないかと想像している。

秋田の毛人は海岸沿いに北へ進出し、石狩川河口あたりでオホーツク人と勢力争いをしていた。そこに毛人に加勢する形で阿倍比羅夫軍が乗り込んだというのが事の真相であろう。

出羽の毛人はその後も北方への進出を続け、紀元1千年ころにはほぼ北海道の全体を支配下に収め、さらに樺太から黒竜江流域まで版図を広げようとした。彼らは鉄を持っていた。自分で作ったのではなく、大和勢との交易により入手したものだ。石器時代を生きているような種族との戦闘がどういう帰趨をたどるかは火を見るより明らかである。

そのなかで現地民と集簇して形成されたのがアイヌ人だということになる。だとすれば男性が縄文人系、女性がオホーツク人系という遺伝学的特性が矛盾なく説明できるのではないかと思う。