どうも最近の「母乳原理主義」を煽っている元凶が、WHOの「母乳育児を成功させるための10か条」というご託宣のようだ。さらにその根っこには「母乳栄養に関するWHO勧告」というものがある。これはWHOが2011年に“Exclusive breastfeeding”(母乳原理主義)として発表したものらしい。

「固形物を食べられる兆候が現れてくるまでの最初の6か月間は、母乳のみで育てる。母親と子供が望めば、少なくとも2歳までは推奨される」
というのが結論である。

*十分な量の母乳が生産できないことは稀であり、栄養状態の良くない発展途上国の母親も、先進国の母親とほぼ同質同量の母乳を生産していることが示されている。

*吸引がより頻繁であるほど、母乳の生産量は多くなる。時間帯を決めて授乳するよりは、赤ちゃんが飲みたい時に授乳する方が望ましい。

*母乳栄養は出産前の体重の復旧、出産後の子宮の復旧、乳癌のリスクの低下など母親にとっても有益である。

*母乳の生産量を増やすために、ドンペリドンやメトクロプラミドが処方される。ただしアメリカ小児科学会は、「メトクロプラミドの副作用は考慮されるべき」としている。

など「母乳原理主義」の驚くべき記述が続く。(ウィキペディアによる)

「栄養状態が悪い母親も先進国の母親とほぼ同質同量の母乳を生産する」という行りは、聞くだけでもおぞましい。どう考えても我が身を切り縮めているということにしかならないのだ。それを是とするのか? それは「医学」なのか?

中でも、常識はずれとして批判を浴びているのが「カンガルーケア」という項目らしい。カンガルーケアとは、育児の手法の一つである。生後30分以内にお母さんのおなかに赤ちゃんをのせて自然に乳首を吸わせる。それがカンガルーのやり方らしい。コロンビアの病院で保育器不足を補うために導入されたのが、「エコロジスト」によって拡散された。

カンガルー・ケアは母乳分泌を促し母子の絆を強化することを目的にしている。いわば完全母乳哺育の第一歩であり,完全母乳主義の一環をなす考えである 

これは出産直後の授乳開始を義務付けたもので、さらに母乳以外の栄養や水分を与えてはいけないという条件がつく。これが第6条というものだ。

一つ間違えば、殺人につながりかねないマニュアルであるが、現在我が国においては、これを「完全母乳栄養」と称し広げようとする動きが広がっているのだそうだ。


以下、「『母乳育児を成功させるための10か条』の解釈について」(2009年)という論文から紹介する。著者は仲井宏充さんと濱崎美津子さん。いづれも佐賀県内の保健所のスタッフのようだ。ネットで調べると、仲井さんは県内各地の保健所を歴任したあと、現在は唐津で開業され、「食と健康」をスローガンに掲げ奮闘されているようだ。

まず抄録から引用する。

現在我が国においてはカンガルーケアが当たり前となり,母乳以外の糖水・人工乳を与えない完全母乳栄養法が“赤ちゃんに優しい”と考えられるようになった.

これは1989年にWHOとUNICEFが共同で発表した「母乳育児を成功させるための十か条 Ten Steps to Successful Breastfeeding」という勧告に基づくものである。

その第四条および第六条を根拠とした「完全母乳栄養法」が国内に普及している。

これに対し筆者は,

1.第四条が言う「母親の授乳開始への援助」がカンガルーケアを指すものではないことを明確にすること,

2.第六条の「新生児には母乳以外の栄養や水分を与えない」は,第四条にある「分娩後30分以内に赤ちゃんに母乳をあげられる」が満たされることを条件とすべきだ。

と提唱する.

第四条 Help mothers initiate breastfeeding within half an hour of birth. お母さんを助けて,分娩後30分以内に赤ちゃんに母乳をあげられるようにしましょう
第六条 Give newborn infants no food or drink other than breastmilk, unless medically indicated. 医学的に必要でないかぎり,新生児には母乳以外の栄養や水分を与えないようにしましょう

この理由として,

1.十分な母乳分泌がないお母さんの赤ちゃんに低血糖が起こる結果,特に脳に重大な影響を及ぼすことを強く示唆する報告が多数あること,

2.カンガルーケアは完全母乳主義の一環をなす考えであるが、科学的根拠に基づく標準的な方法が確立されておらず,カンガルーケアによって危篤状態に陥る児が多数報告されていること

が挙げられる.

以上のことから我々は,

1.新生児の神経発達に影響を及ぼさない血糖レベルが定まっていない現状においては,母乳分泌が十分でない場合には補足的栄養補給を躊躇すべきでない.

2.カンガルーケアには危険が伴うことを認識し,新生児にとって快適な環境温度に調整されてない我国の分娩室においては,カンガルーケアを行うべきではない

ことを強調したい.


以下本論に入る。

Ⅱ 注目すべき報告

山形大学のチームが「症候性低血糖を来たした完全母乳栄養児の1例」を報告した。このケースは正規産新生児で、完全母乳栄養管理下に低血糖による痙攣及び脳障害を来たした。MRIでは後頭部に限局した病変を認めた。

これに対し、WHOは「母乳保育の満期の健康な赤ちゃんでの低血糖が有害であるというエビデンスはまったくない」とし、第6条の堅持を主張した。さらに新生児の低血糖スクリーニングも無意味だとして拒否した。

この意見の対立をめぐり、米国小児科学会は「有効な経験的研究の不足のために、臨床診療のための提言は出せない」と逃げた。

Ⅲ 日本でカンガルーケアを行うことの危険性

これについては確定的な論文による批判はないが、長野県立こども病院総合周産期母子センターの中村友彦医師による問題提起がある。

これは「正常産児生後早期の母子接触(通称:カンガルーケア)中に心肺蘇生を必要とした症例」を提示した上で、「カンガルーケアの留意点」として以下を挙げている。

1.日本のほとんどの産科施設において,正常産児のカンガルーケアが生後30分以内に行われている.ところがカンガルーケア中に,赤ちゃんが全身蒼白,筋緊張低下,徐脈,全身硬直性痙攣,という非常に危険な状態でNICUに緊急入院するケースがあり,他の施設でもこれと似た症例がある。

2.正常産児の生後早期のカンガルーケアに関する文献では,その安全性については議論されていない.また日本では正常分娩の分娩室での母子ケアについては,科学的根拠に基づく標準的な方法が無い.

3.したがって、生後早期のカンガルーケアについて様々な側面から検討する事が必要である.

以上のごとく引用した上で、著者らは次のようにコメントする。

日本では,分娩室の室温は大人に快適な温度、赤ちゃんには低めの温度に調節されている.

このような環境でカンガルーケアを実行すると赤ちゃんは低体温に陥る。その補正のために熱産生を行い,その結果血糖を消費し低血糖に陥る。その結果脳障害の危険が高まる。すなわちカンガルーケアは児に不利益である可能性がある.

Ⅵ 我が国における排他的母乳主義の歴史

学術論文らしからぬ、主観の入り混じった考察ではあるが、それとして見事な文章なので、著作権侵害を恐れず全文を転載する。

我が国における完全母乳主義は国立岡山病院の院長であった故山内先生が推進された運動である.

その当時の日本では,美容的理由や就労の都合,新生児黄疸の予防,さらには乳業メーカーの力などで粉乳哺育が主流となっていた.

山内先生は感染が少ないなど母乳の優位を示すEvidenceにもとづいて母乳推進運動を推進されていたが,森永砒素ミルク事件がきっかけとなり助産師を巻き込んだ社会運動へと発展していった.

「出ない乳房はない,母乳が出ないのは乳房管理が悪いからだ,粉乳を与えるので児は母乳を求めなくなるのである」というロジックで、この運動は昭和50年代から今に至るまで全国を席巻している.

そしていつの間にか,足りないときに適切な糖水や人工乳を足すことをあたかも犯罪であるような言い方をする,偏った母乳主義が台頭することとなった.

今日では,完全母乳主義が乳汁分泌不全の褥婦を精神的に追い詰める結果となっている.

…元来,母乳以外のものを足さないのは,「足せない」低開発国向けのことで,母乳バンク,もらい乳が出来ない日本ではとうてい無理な話ではないかと思う.

むしろ今後は,…乳汁分泌不全の患者さんを完全母乳主義の強迫観念から解放して,「母乳哺育をしたくても出来ない人にどう対処するか」という視点を持つことが是非とも必要だと考える 

率直に言えば、「あぁ言っちゃった。スッキリした」という斬り捨て御免的なきらいはあるが、それはお互いさまだ。こっちは所詮蟷螂の斧だから、このくらい言わないと相手に伝わらない。

そういえば、うちの嫁さんも「桶谷式」とか言って一生懸命揉んでいたが、「痛くなかった」という話も「湯水のごとく母乳が出た」という話も聞いたことはない。そしてしっかりと乳がんになった。

「がん保険」の給付金は、東洋医学とかDHCとかブロポリスなどという怪しげな民間療法で泡と消えた。その金がなんとかテレビの反共デマに使われている。哀れなエコロジー原理主義者の末路であるが、それで納得しているところが怖いところである。