半端に時間が余って、他に行くところもなくて本屋に入った。最近は買ってもほとんど読まずに終わるので、よほどでないと買わないのだが、つい一冊買ってしまった。

肩のこらない歴史物の新書で、若井敏明さんという人の書いた「『神話』から読み直す古代天皇史」というもの。

中身には素直に承服する。同感する所も多い。ただ結局は時代比定のところで引っかかってしまう。

若井さんは、「纏向遺跡=崇神王朝の都」というところから始める。ここがどうしても納得いかないのだ。

これでは崇神の8代前に起きた神武東征が説明つかない。

倭国(九州王朝)系の神武が瀬戸内ルートを開拓しつつ東進し、難波津に到達したとき、そこには一つの王国(非倭国系)がすでに存在していたのだ。

その王国は河内湖北岸の淀川河口から紀の川の河口までを支配していた。内陸部では大和盆地の全域を支配していた。

もし纏向が非倭国系天孫族による近畿王国の発祥の地であるとすれば、神武東征はそれから数代を経ての話ということになる。

素直に考えれば、神武東征は西暦300年ころの話で、崇神の登場はさらに8代を経過した時代ということになる。

私は纏向を開いた人たちは出雲・吉備方面から進出した天孫族ではないかと考える。その軍組織の頂点にいたのが長脛彦に代表される物部氏ではないかと想像する。

そして、崇神は350年ころの人で、崇神王朝の最後となる仲哀は西暦400年ころの人ではないかと想像している。彼らは物部系とも神武系とも違う北陸(敦賀)からの進出者ではないだろうか。

崇神朝は版図をおおいに拡大した。その間倭王朝は半島にわたり好太王との戦いに明け暮れていた。

いずれにしても、それは倭国と三韓、高句麗、中国とは無縁の存在であろう。