4.サンフランシスコ条約と韓国

A) 終戦と「解放」

日韓関係の食い違いは、サンフランシスコ条約で決定的なものとなった。

この辺はたしかに曖昧にしてきたところだ。と言うより、「えっ、韓国とサンフランシスコ条約なんて関係あるの?」くらいの気持ちだった。しかし南さんは朝鮮における日本の責任を曖昧にしたものとして、あらためて見直す。

南さんはこう書いている。

日本と朝鮮は脱植民地課題について一対一で直面する機会が与えられなかった。したがって脱植民地の課題は連合国のアジア政策の中に解消されてしまった。日本帝国主義に起源を置く課題が温存され、隠蔽されてしまった。

ただ私の感想としては、温存・隠蔽というよりは主要な問題ではなくなってしまったということではないかと思う。それと、この時点で韓国が当面していたのは、日韓関係よりももっと根本的な朝鮮という国家の形成のあり方の問題ではないだろうか。

たしかにサンフランシスコ講和は問題を整理すべき大事なチャンスではあったのだが、実際問題としては、朝鮮戦争真っ只中の韓国にとってはそれどころではなかった。

私はまず、終戦処理の問題でアメリカがあいまいなままに終始したことをまず問題にすべきだろうと思う。

まず、朝鮮は日本帝国から解放された国家ではあったが、戦勝国としても連合国の一員としてもカウントされていない。その「解放」は勝ち取られたものではなかった。

第二に、朝鮮は日韓併合により政府や国家機構を失っており、終戦の時点では「無政府国家」であった。

もちろん独立国家の樹立を目指す勢力がいなかったわけではない。それどころか国民の圧倒的支持を受けた独立勢力が臨時政府を樹立し、終戦直後の混乱を抑え統制を実現していた。

しかしアメリカもソ連もこの独立勢力を無視して、独自の体制づくりを目指した。

その中で南北の傀儡勢力が対立を深め、朝鮮戦争へと突入していく。

これが第二次大戦の終了から朝鮮戦争へと至る国家形成の主要な経過だ。そこには日本のにの字もない。たしかに親日派との闘いは部分的に展開されたが、それは「旧親日派」であって、その時点で日本とつながっていたわけではない。

その結果として、日本の責任が曖昧にされたということだ。

B) サンフランシスコ条約で韓国が得たもの、得られなかったもの

日本の残留資産は韓国に移譲された(第4条B項)。これは特殊な条項で、日本は他の非侵略国に対しては賠償責任が課されたが(第14条)、韓国にはこの条項は適応されなかった。これは韓国が第2次大戦によって占領・併合された国ではないからではないからであるが、直接には日本側の強い主張によるものであった。(委細は原文をお読みいただきたい)

得られなかったものは他のすべてである。

連合国は韓国を連合国と認めなかった。サ条約に署名国として参加することもできなかった。

これらの挫折が過剰な戦場国家意識を生み、これが独裁体制の正当化につながるという連鎖が生まれる。これは非常に大きな問題で、日韓関係の根底のところにこの問題があります。