またも思いつきだが、
弁証法の基本矛盾は存在と過程の二重性にあるのだろうと思う。
この時、存在は一時的・相対的なものであり、過程は絶対的なものである。
これはもちろん4次元時空内での話だが。
で、それから先の話だが、虚無主義者は過程の絶対性を強調するあまり、「色即是空」、方丈記の世界に入ってしまう。
ここで一切の論理はストップしてしまう。
しかし存在の相対性は個別の存在の中にあるのであって、その総体としての「全存在」の相対性を否定したことにはならない。それどころか、存在抜きに過程は規定し得ないのである。
ただ存在は純粋な質量の形態では存在し得ず、つねに過程と結びついて、すなわちエネルギーとベクトルをもったものとしてしか存在し得ない。
すなわち存在と過程はエネルギーという形態で結合しているのである。時空の基本的エレメントとしてエネルギーを承認することは存在を承認することとなる。
この認識が客観的観念論と唯物論を分ける分水嶺となるのではないだろうか。
私たちが時間軸をも相対化できる5次元の尺度を持っていれば、この問題は容易に解決できるだろうが、誰かそのような「超アインシュタイン物理学」を展開してくれないだろうか。

現実の存在は個別的・相対的なものであるだけに、存在論は認識論としての側面を持つ。存在をのっぺらぼうの質量としてとらえると不可知論の世界に飛び込むことになる。エネルギーとして、あるいは加速度として質量をとらえることで、(回り道ではあるが)不可知論は克服できる。すなわち存在の発するエネルギーを、将来展望もふくめて人間は感知・受容できるし、そのことによって事物の存在を確信しうるのである。
このことが「唯物論と経験批判論」の前段に書き込まれなければならないのではないか。