以前、ニコニコ動画が音質が良かった時代にカルル・リヒターのバッハは売り物だった。あのときにバッハのチェンバロ協奏曲を聞いて感動したものだった。最近、You Tubeにも同じ曲がアップされて聞いたのだが、まったく印象が異なる。
はっきり言ってYou Tubeのほうがリアルな録音で、ニコニコの方は相当いじった録音であろうと思う。録音の日付を見るとリヒターは60年代の初めに一度録音して、70年代の初めに再録音したようだ。それでニコニコの方は旧録音でYou Tubeのほうが新録音ではないかと思う。
旧録音ではチェンバロの音量が弦楽合奏と対を張っている。しかし新録音ではかなり弦合奏の奥に引きこもりがちだ。実際のコンサートでは多分それが当たり前なのだろう。
むかしはそうやって録音するのが当たり前だったのかもしれない。高校の頃にFMで聞いたジョージ・マルコムの演奏もそんな感じだった。カークパトリックもレオンハルトももう少しチェンバロの音が出張っている。
ところが旧録音の方で慣れてしまっている私の耳には(年齢のせいもあって)チェンバロの音が聞こえてこない。まるで成人病検診の聴力検査みたいだ。「そういえば鳴っているね」というほどの音でしかない。チェンバロ練習用のマイナスワン演奏かと思ってしまう。
リアルの音量バランスで言うと、やはりチェンバロを2、3台並べてやらないと協奏曲にならない。だからバッハはそちらの方に力を入れたのではないかと思う。
それではと言うのでピアノで弾いた録音を探してみる。引っかかったのがペライアの演奏。アカデミー室内楽団を弾き振りしている。実に素晴らしい演奏だ。ペライアは大好きな演奏家で、弱音の美しさがたまらない。
しかしバッハとなると、それがアダになる。「そんな艶めかしい曲ではないでしょう」と思ってしまう。それと弦とのバランスが勝ちすぎている。弦合奏がただの合いの手になってしまっている。ショパンを弾くようにバッハを弾いてはやはり困るのである。
なかなか難しいのだ。
ドンデラー(ピアノと指揮)ドイツCOの演奏があって、ドンデラーは“キーボード”に徹している。こうするとピアノと弦とのバランスがとれて聞きやすい。その代わりピアノにはニュアンスもへったくれもない。
しかし聞いていくうちに、「やっぱりペライアはいいなぁ」と思い始めたから、こちらもいい加減なものである。

2月10日 追記

ペライアのバッハは良い。こういう演奏は類を見ないが、良いものは良い。

最初は違和感を覚えた。「こんなものバッハじゃない」と思った。しかし慣れてくると「バッハじゃなくちゃいけないのか?」と思うようになってくる。そういえばポリーニのバッハを聴いたときもそんな気分になったことを思い出す

ニコラーエヴァ以来、「バッハはロシア人」と相場が決まっているようだ。

しばらくはソコロフを聞いていたが、何かうっとうしい。そこで最近はコロリオフを聞く機会が多かった。

コロリオフという人はソ連崩壊時に西側に移った人で、ソコロフやクシュネローヴァと似たような経過だ。バッハは良いが他の作曲家になると何故かスカスカの人だ。

いづれにしてもロシア系の、特に最近のピアノ弾きは情緒がない。エドウィン・フィッシャーの半音階的幻想曲とフーガでバッハに目覚めた私としては、もっと情緒纏綿たるバッハが聞きたいのである。

ペライアはそういうバッハではない。あくまでも美音である。しかし下品ではない。ペライアは「綺麗なら良いだろう」と開き直っている。

私もなんとなくそんな気分になっている。いまは「イギリス組曲」を聞いているところである