弥生時代の絶対年代区分

前回に続き、星野さんの論文の学習ノートです。

1.弥生時代の概念

当初は縄文式土器に代わり弥生式土器が優勢になった時代と理解されていた。

しかし水稲栽培が同じ頃から始まったことから、水稲栽培の時代とひとまとめにされた。ところが水稲栽培が弥生式土器の普及よりかなり先行していることが分かり、「水稲栽培+縄文式土器」という移行期を弥生時代早期と呼ぶようになった。

2.前期・中期・後期の区分の根拠

「水稲栽培+弥生式土器」が本来の弥生時代であり、これは前・中・後の三期に分かれる。

本来はC14による絶対年代分類が最も良いのだが、今のところC14の推定はかなりの誤差をふくんでいる。年輪年代法やY染色体ハプロの研究も相対的な判断である。

弥生式土器の形態による編年も基本的には相対年代にとどまるが、出土数がきわめて多いために、ある程度絶対年代の尺度として利用しうる。

というのが星野さんの主張で、以下の表がその根拠となっている

土器編年

やや面倒くさい表だが、要は4人の専門家がだいたい一致しているから使えんるんじゃない?

というものだ。

その上で、星野さんは以下のように提唱している。

弥生前期 紀元前300年~紀元前200年頃
弥生中期 紀元前200年~紀元0年頃(約200年間)
弥生後期 紀元0年~紀元280年頃(約250年間)
古墳時代 紀元280年~ 
(ただし紀元200~280年は「大型古墳+弥生式土器」の移行期)

九州の場合も大差はない。ただ弥生前期に先立つ弥生早期は九州にのみ存在する。

弥生早期を形成したのが渡来系であったことに異議はない。ただしものすごい大量の移民があったという主張は少し保留しておきたい。

一組の夫婦が4人子供を生んで死亡するとすれば、20年で人口は倍になる。狩猟民族では資源との関係で増加には限界があるが、農業では新田さえ開発できればこのねずみ算には制限がない。事実、九州北部には急速な水田面積の増加が見られている。

例えば100人が渡来すれば、100年後には1,000x2の5乗で3,200人となる。200年後には10万人を超える。問題はそれを食わせるだけの可耕地があるかどうかということだが、それを問うなら、むしろそれだけの人が一気に渡来した場合のほうが矛盾は深刻だろう。

田を切り、水を引き、稲を植えて食べられるようになるには2年が必要だ。最初の渡来人は、その間業態の異なる縄文人の支援をあてにできたが、後から渡来した人々は先着グループと争って、経営基盤を確保しなければならない。

そうなるとむしろ自然増をメインに考えたほうが素直ではないだろうか。そして最後にやってきたのが天孫族・C2人であろう。彼らは鉄と馬によって日本を制圧した。