清教徒革命年表 今後の課題

そもそもはパスカルをもう少し勉強しようと思っていたところに、彼の思想にイギリス哲学の影響がないのだろうかと疑問をもって、それじゃ同時代人をと思ってホッブスに手を付けたところ、哲学者としては大したことはないが、リヴァイアサン一発で人権思想の礎を築いたというアイデアマンだということがわかった。

そこで彼の人生を眺めてみると、彼自身が清教徒革命を体現した人物であり、リヴァイアサンが清教徒革命の真髄をすくい取っているからこそ、それが近代政治の礎となったということがわかった。

ということは、清教徒革命を近代政治の曙として勉強しないとならないなということになって、この作業をはじめたわけだ。

1日もあれば片付くと思っていたが、どっこい数日を費やしてしまった。しかも残された課題は山のようにある。

以下列挙していく。

1.なぜスコットランド王がイングランドの後継者に選ばれたのか。選んだのは誰か。

2.火薬陰謀事件(06年)で浮き彫りになった、カトリックとの緊張関係はどう推移していくのか。バチカンはイギリスに干渉しなかったのか。

3.スペインの無敵艦隊を破ったイギリスは、この時点でヨーロッパの覇者になっていたのか。欧州列強の力関係は、この時点でどうだったのか。

4.イングランドとスコットランドは同君連合とされるが、それは対等の関係だったのか。従属関係にあったのか。

5.王権神授説の由来。なぜジェームスはこれを09年の時点で強調したのか。おそらく王権がイングランド国内で軽視されていたからだろうが、ジェームズを王位につけたフィクサーたちは王権神授説をどのように捉えていたのだろうか。

6.ベーコンの話は気になるが、シェークスピアとの関係も含めいずれ考えよう。

7.30年戦争は、「ドイツ農民戦争」もふくめて気になるテーマだ。これもいずれ検討しなければならない。ただイギリスは蚊帳の外だったのだろうか。

8.ピルグリム・ファーザーズは迫害を逃れたと言うが、それほどか弱い存在だったピューリタンがなぜ20年後に天下を取るのか、この変化がわからない。これがわからないと清教徒革命がわからないというくらいの大問題だ。

9.議会が国王に抗議するということは、国民の過半が反国王ということか。その何割くらいがピューリタンか、国教会の信徒はどうだったのか。

10.ジェームズ、チャールズはともにスコットランド出身であり、かれらはスコットランドにおいてはカルヴィン派を容認していたはずだ。どうしてイングランドの国教会を押し付けるのか。

11.スコットランドは国王と戦争し、勝ったあともチャールズを国王とし続けたのか。そうだとすれば、スコットランドにとって国王の地位はどういうものだったのか。

12.国教会の態度が分からないが、一貫して国王を支持したのか。

13.王党派の態度がわからない。途中までは議会派と行動をともにしており、単純なチャールズ派ではないと思うが、なぜ国王を支持したのかを明らかにしなければならない。

14.王党派は貴族と特権商人というが、議会派の主流である長老派も貴族・大商人の代表と書かれている。貴族・大商人の政治的、宗教的色分けはどうなっていたのか。

15.ジェントリーとヨーマンというのがよくわからない。彼らがなぜピューリタンだったのかもわからない。

16.ピューリタンは歌舞音曲を禁じたと言うが、みずからもそういう生活を送っていたのだろうか。シェークスピア以来の芸術家たちは王党派に走ったのだろうか。

17.スコットランドと議会派が東部連合軍を作ったというが、その効果はあったのだろうか。スコットランド側の思惑は何だったのだろうか。

18.クロムウェルは軍内から長老派を排除したと言うが、それはいかにして可能だったのか。それはスコットランドとの同盟に悪影響を及ぼさなかったのだろうか。

19.内戦中に生まれたレベラーズはまことに興味深い組織だ。片手間で済む話ではなさそうなので、クエーカーとも絡めて別の機会に。

20.第二次内乱を起こしたのは誰か、指導者は誰か。国教会はどう動いたか。

21.チャールズ2世はどのようにしてスコットランドに入ったのか。スコットランド政府はこれを受け入れたのか。長老派はどのような態度をとったのか。

22.ミルトンについての記述が1行だけある。もう少し膨らませなければならない。

23.真正水平派・ディガーズも同様。もう少し文献を探す必要あり。

24.クロムウェルはかつての盟友である議会のピューリタン独立派とも衝突し、これを追放した。どこが違っていたのか、どこが気に入らなかったのか。

25.イングランドに併合されたスコットランドの政体はどのようになったのか。たんなるイングランドの一地方なのか。スコットランドの王党派や長老派はどのような扱いになったのか。

26.こんな時にスペインと戦争を始めている。国内はメチャメチャだと言うのに一体どういうつもりなのだ。

27.55年の国王は反乱の内容がわからない。だいたいこのあたりから、文献の量がめっきり減ってくる。清教徒革命がどうして崩壊していくのかを知るのにはだいじなところなのだが。

28.リチャードの護国卿就任にいたる経過、および辞任に至る経過が目下不明。

29.チャールズ2世のドーヴァー上陸は共和側の将軍がお膳立てして行われたようであるが、その詳細は不明。

とまぁ、こんなことを考えながら作業をしていくのだから、情報が増えるに従って、作業スピードはそれに反比例するかのように落ちていく。

もう2、3日は作業を続行してみたいと思う。