ホッブスを学んで

学んでというのはウソで、表面をさらっと舐めただけだが、かなり高校時代の世界史で習ったのとは感じが違う。

ホッブスという人の実像はかなり進歩的でリベラルな人だ。君主制を主張したからというのは、当時の実情で見て判断しなければならない。

これからの勉強だが、クロムウェルと清教徒革命とは実際に暮らしていた人々にとってはかなり迷惑な革命だった可能性がある。

なんとなく私にとってはロシア革命とスターリンを連想するのである。

いわゆる「社会主義体制」が崩壊したいま、そこに残っているのは「ブルジョア独裁」のシステムである。

それは「社会主義体制」が成立する前から存在し、いまもそのまま存続している。現代社会が「資本家階級による階級制度」であるという事の本質は変わっていない。

ホッブスのときはピューリタンが支配する共和制が登場し、それに異を唱えるということは王政への復古につながることを覚悟しなければならないわけだ。

ホッブスが本質的には進歩派でありながらも、復古派として活動せざるを得なかったのは歴史の制約であろう。

もちろん、そこには民主主義というもう一つの政治的尺度がある。それは人民の自然権に基盤をおいた原理的に平等な世俗的な社会原則である。

ホッブスは共和派対王権派という対立構図の中で、より根底的な枠組みを提示している。民主主義(法の下での平等)が貫徹していれば、その形式が共和制であっても立憲君主制であっても、それは二義的なものだ。

スターリニズムが荒れ狂う社会のもとでは、資本主義への「回帰」が進歩的なスローガンであったように、クロムウェル独裁政治のもとでは王政復古が進歩的であった可能性もある。

これは当事者の立場に立たないとわからない状況であろう。

他のマイナーな話題にも触れておこう。

高齢者の活躍というと日本ではしばしば伊能忠敬が話題になる。50歳で隠居した後江戸に出て測量を学び、その後の23年間日本地図の作成に没頭した。

ホッブスはというと、一時ベーコンの助手を務めたものの、50歳ころまでは貴族の家庭教師で糊口を凌ぐ生活ぶりで、世間的には無名の人であった。

50歳で自然権を前提とする契約社会論を表して、ようやく名を挙げるが、それは逆に苦難の始まりでもあった。

清教徒に脅されてフランスに亡命し、家庭教師の道を見つけるがこれが後の国王になるという幸運に恵まれた。

しかし当面の暮らしにとっては、それは必ずしも幸運とはいえなかった。

63歳で満を持して発表した「リヴァイアサン」は大当たりを取った。まぁ表紙を見れば分かるようにいかにも対手向きだ。しかしこの書物は共和派からも王党派からも指弾され、フランスでの亡命生活も不可能になった。

その年、必死の思い出クロムウェルに詫びを入れてイギリスに戻る。それから10年間、クロムウェルがどういう思いで生活したかは定かではない。

10年後、クロムウェル政府は崩壊し、王政復古が実現する。フランス時代の教え子であるチャールズ2世が即位する。

とは言ってもホッブスの居心地は決して心地よいものではなかったろう。なにせクロムウェルの軍門に降って、チャールズの下を逃げ出した身だ。しかも「リヴァイアサン」は王党派内の守旧派グループにはすこぶる評判が良くない。

しかしチャールズはホッブスを許し顧問官のポストを与えた。これが73歳である。

ふつうなら後は悠々自適の生活を送ろうというものだが。ホッブスはその後も書きまくる。というより色んな人に論争をふっかけているらしい。

王党派も堪忍袋が切れたのか、議会で「リヴァイアサン」を禁書にするという決議を採決してしまう。

もう一度、ここでチャールズが登場してホッブスを救う。お陰で禁書処分は免れたが、チャールズからきついお灸をすえられ、政治的発言は止めざるを得なくなる。これが80歳のことだ。

その後は文芸論などを書いて暮らし、90歳にして一生を終えることになる。

どうも20年から30年この人の活動期は後ろにずれている。これから見れば私などまだまだ若造だ。