アントニオ・ネグリ的な「帝国」が姿を現しているのかもしれない。
資本はその本質上祖国を持たない。マルクスは「資本が祖国を持たない以上、労働者も祖国を持たない」と言った。しかし当時は、それは「万国の労働者よ、団結せよ」という呼びかけに終わるしかなかった。
世界資本主義が成立しようとする今、労働者は祖国を失い、砂のように流動化しつつある。それはゴビ砂漠が万里の長城を飲み込むように、いたるところで国境を超え、既成政治を越えて流動化しつつある。これがマルチチュードだ。それはネット世界のヴァーチャルな存在ではない、生贄としての生身のマルチチュードだ。

では国家はそうやって世界資本主義の前に無力化し、消滅し、1%の富裕層による単一市場国家、ネグリのいう「帝国」が誕生するのだろうか。それはありえない。
グローバル資本は、寄生虫が宿主を必要とするように、本質的に国家と国境を必要とするからである。彼らはゲバルトを必要とし、ゲバルトにより囲まれた安全地帯を必要とするからである。
イギリスの移民排斥、その延長線としてのEU離脱は、古き良き時代への懐古に過ぎず、決して庶民本来の要求ではない。
イギリスは移民先進国である。ロンドンの下町に行けば、生粋のイギリス人を探すほうが難しいくらいだ。
イギリスの庶民の苦しみは移民の増加によるものではなく、実体経済の空洞化によるものである。イギリスはあらゆる経済自主権を放棄することによって、「世界一金融資本に優しい国」となり、金融マーケットとしての地位を確保した。
その過程で庶民の暮らしは無視され、その多くが無為徒食の民となることを強いられた。
今そうやって獲得した金融マーケットとしての地位がEUによって侵食されようとしたから、金融資本家は離脱の動きを煽った。彼らには彼らの意のままになる「国家」が必要だったのである。
貧富の差の拡大を基盤として、この金融資本家たちの相矛盾した行動が、社会の混乱を煽っているのである。
トランプには国内産業の保護と、みずからもその一員である金融資本やグローバル企業の保護という政策矛盾がある。同じようにヒラリーについた金融資本家にも矛盾がある。
いま世の中はこうした矛盾に満ち溢れているが、それは1%の超富裕層対99%の貧民という構図がもたらしたものだ。そしてその構図がいまだ多くの人に明示されていないという過渡的状況がもたらしたものだ。
しかし多くの人々がエスタブリッシュメントの支配に耐えきれず、行動に移り始めたという根本的な流れを、我々は見落としてはならない。
「民」を先進国に移転するのではなく、「富」を途上国に移転すべきだ。劣悪な労働条件を先進国に持ち込むのではなく、ディーセントな労働条件を途上国に広げるべきだ。
世界中に膨大な貧困があり、有り余るほどの欲求があり、世界中に未開拓の労働力があるのだから、社会の生産力はまだまだ大幅に向上できるはずだ。
そのために諸国家にはまだし残したことが莫大にあるはずだ。EUの積極的側面を無視するわけではないが、その前に国家が資本から自立し、庶民政治の拠点として再活性化されるべきだ。「死滅する」には早すぎる。
これが2016年から17年にかけての流れだ。たしかに物騒な局面を含んではいるが、この庶民の動きの底流を信じよう。

ネグリ自身について書いた記事もあったはずだが、目下見当たらない。