前の記事で縄文とアイヌの違いについて考えさせられた。さらに幻のオホーツク人とニブヒ、ギリヤークとの関係についてもいろいろ考えが思い浮かぶ。さらに現代アイヌを挟んで縄文人と対極に位置するカムチャッカ先住民(イテルメン人)との関連についても想像は尽きない。しかしmDNAのあまりに複雑な表現型に沈没してしまった。

そこでいろいろ探していたところ、下記の文章にヒットした。

第36回雲南懇話会 2016.3.19
DNAから見た日本人の起源 -日本人成立の経緯-
国立科学博物館人類研究部 篠田 謙一

これ一つでmDNA学はマスターというくらい中身が濃くて、しかも最新情報である。しかも演者はこの分野で最高の人だ。チンピラの与太話ではない。ぜひご一読をおすすめする。

ということで、以下は私の「チンピラの与太話」的コメント。


1.ミトコンドリアDNAの系統

アフリカの部分は抜いてある。

分岐図

出アフリカが8万3千年前。それから1万年後に<M>が分岐(出エデン)した。これがY染色体でいうハプロC、Dだろう。Mグループは随分複雑な枝分かれをしているが、この内D群の一部が日本人の祖先の一部となっていく。

この時中東に残った<N>は<M>に5千年~1万年ほど遅れて出エデンを果たし、ヨーロッパを含めたユーラシア世界に拡散していく。その広がりにはY染色体のような系統性はなく、幹からいきなり葉が出て花が咲いている。

Bが朝鮮人、Fが中国人という具合で、乱雑至極である。これがY染色体だと、アジア系をNOに一括できるのだが、結局M系、N系と時期・分布を分ける以外にはあまり役に立ちそうもない。

2.人類の移動とmDNA

mDNA分布2

これも意味は同じだが、図示されたルートに特徴がある。すなわちMもNも、ともに南方ルートが示されていることだ。

まず青色のMが先行し、雲南省あたりから中国に進出している。ここでC、Dの他ごちゃごちゃと分かれている。大まかに言えば北東アジアに腰を下ろしたグループと、さらにベーリング海峡へと向かったグループということになる。

その後にNグループが同じく南方から中国に入り、中国人、朝鮮人などを分岐したことになっている。これはGm遺伝子以来の北方説に真っ向から対立している。

3.日本人におけるmDNAの割合

mDNAの分布はY染色体とは明らかに様相を異にする。最大の特徴は、その多様性である。これはmDNAの突然変異の頻度の高さによるものであり、先着したM群と後着のN群に分けてみると様相は変わってくる。

日本人mDNA分布

時計回りでいうとD4からM9までがM系(先着グループ)であり、B4からYまでがN系である。(AはM系?、Gは謎 Yは後述)

実に3/4を先着系が占めていることになる。

次の「アジアにおける各ハプログループの分布の中心」から後の何枚かの図は、さっぱり意味が通じないので省略する。

4.縄文人のゲノム解析の結果(2)

前の記事で、北大の先生が使ったのと同じ方法で作成した図のようである。

PC1-2図

左下の3つが北海道・東北で出土した縄文人のmDNAである。

アイヌ人女性はPC1の低さにおいて縄文人に比肩するが、PC2においては本土人を凌駕し、中国人と比肩する。沖縄県女性はPC2の低さにおいて縄文人に近く、PC1の高さでは本土人に近い。

アイヌ人女性、沖縄県女性は、半分縄文人で半分縄文人ではないキメラということに
なる。

5.現代人集団と縄文・弥生人のmDNAハプログループ頻度の比較

さて困ってしまった。ほぼ玉砕状態だ。

mDNA分布の変遷

説明にはこう書いてある。

ハプログループD4の頻度が大きく変化している。縄文人と弥生人の混合によって現代日本人が誕生した。

問題はどう変化したかだ。縄文人の最多ハプロはN9bだ。これはN系人だ。それが弥生時代になって一気にD4人(M系、すなわち古系人だ)が半数を占めるようになる。あれだけの比率を占めたN9bは影も形もない。

これが逆なら説明がつくのだが、これではどうにもこうにも形がつかない。ひどいことになったものだ。

6.ハプログループGとYの比率

これはどちらかと言うと、日本人起源論というよりはアイヌ人起源論で、おそらく先程の北大の先生方の研究が反映されたものだと思う。

GとY

カンオホーツクに特有の現象だ。ほかはほとんど白ちょっぴり青。ところが樺太からアムール河口にかけてYがバッチリ出現する。そしてカムチャッカからベーリング海峡にかけてはGがとんでもない比率で出現する。

我が北海道のオホーツクではどうかというと、Y43%、G24でこれもバッチリだ。Yの比率においては樺太に次ぐ。Gの比率もカムチャッカ程ではないがかなりの高さとなっている。そしてこの2種で全体の2/3を占める。

これはオホーツク文化人がそれらの地域と近縁関係にあることを示す。これが近世アイヌ、現代アイヌと経過するに従ってYの頻度が減り、19%まで低下し、内地系のDが18%に増加する。

これらの経過を通じて、縄文~続縄文人とはまったく連続性を持たないのである。困ったことだ。