本日はたまった赤旗のまとめ読み。相当しんどいぞ。

最初は3日号の小池書記局長と中津留章仁さんという人の対談。中津留さんは43歳、気鋭の劇作家で社会派と呼ばれているようだ。

顔は精悍そのもの(バセドウっぽい)で、ちょっと負けそうだが、言っていることは確かだ。日本にはこういうアラフォーもいるのだ。

対談の中で気に入ったくだり

共産党っていう政党は理念がはっきりしていることが強みですね。それにとてもわかり易い。

…一言いえば、理念に対して現状の矛盾をどうとらえるかですね。矛盾に対する市民の空洞というか、心のよりどころのなさ、これをどう捉えていくのかに関して、もう少し描き込んでもいい、文脈がほしいなという気がします。

この言葉の伏線として、最初の方に次の言葉がある。

人間の苦しみや、機微を描くというのは演劇のすごく良いところです。


以下は私の感想

人間の苦しみを描くというのは、必ずしも演劇でなくても可能だ。一つの表とかグラフの持つ訴求力は何本ものドキュメンタリーに匹敵するものがある。

問題はその後の「機微」だ。中津留さんは「機微」を、苦しみとそれに立ち向かう人間の間に織りなされるいくつものシーンの複合としてとらえる。

だから機微というのは前向きのポジティブな力を持っている。そこをどうすくっていくかというのは芸術の仕事になるのだろうが、政治に携わる場合にもそこは土台にしていくべきだ。

ということを伏線として考えて行くと、

①「大衆の気分」というベタな静的把握ではなく、「機微」の集合体として、ダイナミックでポジティブなものとしてとらえる観点が必要だということ。

②そしてそれが「心のよりどころのなさ」に絡み取られて、にっちもさっちも行かなくなっていること、

③その「心のよりどころのなさ」は政治と現実のギャップ、「空洞」を埋めきれない国民の戸惑いの表現だ。(このあたり小池さんと響き合っている)

④ここを社会変革の展望へと結びつけていくためには、「機微」とをつなぐ「書き込み」が必要であること、

⑤いわばその「書き込み能力」が共産党に問われているのではないか

という、問いかけだ。

非常に鋭い、的を得た提言だと思う。


もう一つのポイントは、いわばその応用問題になる。

それと言葉、あえて言葉といいたいんですが、行き違うことっていっぱいあると思うんです。批判するときにも、相手の正当性をちゃんと理解しておくということがとても重要だと思うんです。

おそらく野党共闘を念頭に置いたものだろうが、

「批判するときにも、相手の正当性をちゃんと理解しておくということ」という発言で、ひょっとして中津留さんはその現場に立ち会わせたのかもしれない。

共闘のさまざまな局面の中には、「あえて言葉といいたいんですが」とあえて言いたくなるような場面があってもおかしくはない。

「相手の正当性」というのは論理の正当性ばかりではない。ネゴというのは個人対個人の対話でもあるわけで、「機微」の正当性も問われなければならないのである。

その際、最初にも述べたように、「機微というのは前向きのポジティブな力を持っている」という認識が土台に座らなければならない。

つまり、中津留さんは「もっと仲良く、礼儀正しくおやんなさい」といっているのではなく、交渉相手が抱いているであろう、「苦しみとそれに立ち向かう人間の間に織りなされるいくつものシーン」を評価しつつ語れと提起しているのではないだろうか。


こういう含みを持つ中津留さんの問いかけに対して、小池さんも感度鋭く反応している。

大会決議案でも「自己改革しなきゃいけない」と強調しています。メッセージの伝え方についても、もっと考えなきゃいけない。

とくに市民と野党の共闘という新しい段階に来て、僕らもいろいろ試されている。

「いろいろと立場の違う、いままでの経緯も違う、そういった人たちとほんとに心を通わせる」ことを、「相手をリスペクトする」ことの真の中身として実践する、

それが、「これからの共闘」、「新しい政治」の重要な土台柱となる。

俗っぽく言わせてもらうと、すり合わせ型共闘から対話型共闘への転換、ともいうべきか。(ちょっと軽すぎるけど)