先日の新潟県知事選挙についての関係者鼎談は、きわめて面白いものであったが、紙面の性格上あまり舞台裏に触れたものではなかった。

運動層が泉田から米山へと流れたのか、それとも新たな支持層が開拓されたのか

原発を最大の争点として掲げるという判断がどうして決められたのか(米山候補は元来は反原発派ではなかった)

泉田擁立断念から米山担ぎ出しの動き、その仕掛け人は誰だったのか


POST というサイト(元”SEALDs POST”)に

という記事があった。「新潟に新しいリーダーを作る会」の共同代表である磯貝じゅんこさんによるコラムである。


磯貝さんは初めて関わる参院選挙で街宣カーの上に乗り、時には候補者の代わりとなって演説する。時には政党間の接着剤の役目を果たした。

参院選後、現職の泉田知事を応援すべく磯貝さんら市民が「おむすびの会」を立ち上げた。ところが泉田知事が撤退すると発表したことに衝撃を受けた。

県知事選挙の「対立候補」(泉田後継候補)擁立へ直接関わった政党は、7月の参院選にて共闘した政党のうち、社民・共産・せいかつ(自由)の3党と、新社会・みどり・市民でした。

民進や連合についてはそれぞれの事情もあるものと考え、悪いイメージを持つことなく、いつでも受け入れる構えでした。

いろんな人の名前が出ては消えた中、民進党を離党して米山隆一さんが立候補への覚悟を決めてくださいました。

私たちは、選挙戦へとのぞむこととなりました。まず「泉田知事の路線を継承する」という政策を掲げました。

市民運動サイドは、「新潟に新しいリーダーを誕生させる会」を選挙母体とし、市民の会が勝手連となって動くことになりました。

原発再稼働の争点が(急激に)明らかになっていきました。そのなかで、生活に関する政策を訴えることの重要性も感じていきました。「米山県政には明るい希望がある」ということを個々に広げていきました。

「新潟柏崎刈羽原発の再稼働問題」、そして「泉田知事の県政を継承する」というかたちで、争点が明確になりました。

今までの泉田県政を支持していた県民は不安を感じていましたが、(その不安は)一気に希望とへ変わりました。

立地企業を抱えながらも、経済と自分の故郷を天秤にかけた時に何を優先したいのか。立地県である新潟であるからこその結果であったと思います。

ということで、市民の側の論理は「反原発まずありき」ではなかったということが分かる。
そこには「泉田県政の継承」という論理がはさまれている。
ここに注目しなければならない。
おそらく市民運動家の目には、泉田前知事が不条理な形で降ろされたことへの怒りがまずある。なぜ降ろされたか、それは明らかに原発推進勢力の陰謀だ。
だから再稼働反対は、金権で政治を動かそうとするものとの対決のスローガンでもあり、東京の支配に対する地方の自治のスローガンでもあった。
だから、おそらく他の県ではとかく浮き勝ちな「再稼働反対」のスローガンが、新潟では県民の心にすっと入っていたのだろう。沖縄で「米軍基地撤去」のスローガンがオール沖縄の声になるのと同じだ。
同時にこのスローガンで闘うことは、新潟県知事選挙を全国区にしてしまう効果も持つ。だから、連合新潟の思惑を押し切る形で民進党の中央幹部が乗り込んだし、米山派に追い風が吹いたのであろう。
すなわち、「泉田県政の継承」ではなく「再稼働反対」のスローガンを押し出したことが情勢にジャストフィットしたのである。同時にそれが「泉田県政の継承」であるが故に、「原発だけではない」攻撃を有効に切り替えしたのでろう。逆に自公・東電・連合側には泉田県政を乗り越えるだけの政策がないから、「原発だけではない」攻撃は結局、「原発だけ」を狙いとする彼らの本音が明らかになるだけの結果となったと思われる。
「原発反対」と嘘をつき、あげくに最終盤の「県庁赤旗」攻撃の法定ビラは、彼らの無残な政策的・思想的崩壊を天下に晒す結果となった。

なお阿修羅では、悔しさいっぱいの新潟日報の記事が心ゆくまで見れます。新潟日報のサイトではひた隠しにされているお宝記事です。

心がなごむことこの上なしの文章です。