前の記事で、(真核化とミトコンドリア取り込みの順は逆かもしれない)と書いたが、よく考えてみると逆だろう。

真核細胞したからこそ、安んじてミトコンドリアも葉緑体も迎え入れることができたのだろう。

そうでなければ、これらは異物として排撃されるか消化されるかしてしまっただろう。

生化学で見ればたしかにいろいろな代謝経路はあるだろうが、マクロに見れば細胞というのは外部のものを取り込み、消化し、異化していくことで生命を保っているのだから、免疫もへったくれもない。

さびれた田舎の村が観光で村おこしして賑わいを取り戻そうとすれば、まずはそれなりの受け入れ体制を作らなければならない。

それにはまずインフラだ。宿泊施設を作って、街の人が不愉快な思いをしないように安全な居場所を確保しなくてはいけない。

それにはリゾチームが襲わないような居住地区を確保する。同時に細胞質内に浮遊していた原核を核膜で包んで、変な外人テロリストに襲われないようにしなければならない。

庇を貸して母屋を取られては元も子もない。日本の田舎の人はみんな気がいいから、東京資本に全部乗っ取られてしまった。


それではシアノバクテリアの場合、細胞内小器官のような隔壁なしにいかにして葉緑体との合体が可能だったのか、いろいろな説があるようだが、一言で言えば奇跡としか言いようがないのだ。

40億年の間にただ一度の奇跡が起こったのだ、としておこう。

それに比べれば、真核生物の場合、葉緑体の受け入れは法則的だ。おそらくはミトコンドリアを受け入れたのと同じ方法で葉緑体を受け入れたのであろう。とすればこの2つの他にもいろいろな機能を持つ生命体を受け容れた可能性はある。

進化した生命体の細胞には実にさまざまな細胞内小器官がある。それらの多くがフリーエージェントで入団してきたとしても不思議ではない。

そういう発展の仕方もあるのである。