数日経ってからあらためて考えると、浦野さんの論説は、総説の形を取ってはいるが、いろいろな意味でかなりバイアスの掛かったクセのある主張ではないかと思い始めている。

海綿の特定の部位の細胞(ニューロイド細胞)を指して、モノアミン(神経伝達物質)の顆粒があるから神経細胞の芽だという主張だが、それは内分泌細胞の芽というべきではないか。

例えば神経細胞のクライテリアを考えてみる。先に触れたようにいくつかの基準がある。それと同様に内分泌細胞のクライテリアを考えてみる。

そうすると、神経細胞とは到底言えないが、内分泌細胞の基準にはかなり当てはまるところがある。

ここから言えることは、内分泌細胞と神経細胞が共通の祖型から分化したというよりは、内分泌細胞、とくにモノアミンを産生する内分泌細胞が先に存在して、その特殊系として神経細胞が分化・発達したと考えるほうが素直なような気がする。

この先後関係は、とりあえずはどうでも良い話であるが、ただ活動電位という形に一度エネルギー転換することを神経細胞の決定的基準だとすれば、やはり「海綿には神経はない」というべきではないかと思う。

もちろん活動電位を生じる細胞はあまたあるわけで、循環器専門医として心臓の電気生理や心筋のダイナミックスを勉強してきた私にとっては、ある意味おなじみの世界である。

内分泌系と神経系をひっくるめて動物の情報伝達系とするならば、その中で神経系は活動電位を介在するお陰で飛躍的な多様性を獲得した内分泌細胞として捉えるべきではないか。

さらにいうならば、動物は神経系という特殊な内分泌系の形態を獲得したことによって、初めて真の動物足り得たのではないかと思う。

そして他の内分泌細胞とは形を変え、樹状突起という受け口と軸索という長い延長コードを獲得し得たのではないか。

ただそれはあくまでも内分泌細胞であって、液性の刺激により情報を受け取り、液性の神経伝達物質の分泌という形で情報を発信するのである。

もう一つ神経系の発達をめぐる議論の中で明らかにしておかなければならない点がある。

それは海綿動物→刺胞動物というかたちで動物が発達してきたとは必ずしも言えないことである。そこにはかなり「退化的進化」が入り込んでいると思う。

苦労しなくても食料が手に入るとなれば、誰でもぐーたらになる。歩かなくてもいいなら足は退化し、口を開けていれば食い物が飛び込んでくるなら手も退化する。

だから一つの機能に着目して「どちらがより進化している」という言い方には、慎重であるべきだろう。

最近はゲノム解析が発達しているので、意外なやつが実は偉かったりする。そのへんもふくめて、長い目で見ていくこともだいじだろう。