大隅さんのノーベル賞受賞のニュースで、初めて『オートファジー』という言葉を知った。

自動的にファジー(Fuzzy)になるということで、カメラの効果のことかと思ったが、マクロファージのファージということで、「それならオートファージと言ってくれよ」と思う。

しかしこの研究、どうも今までの知識と整合していない。

私が研修医になりたての頃、世は免疫学だらけだった。そして免疫反応の出発点をなすのがファーゴサイト

体に異物が入ってくるとまず貪食細胞というのが対応して、その異物を食ってしまうのだ。白血球も食細胞ではあるが、大抵はマクロファージというもう少し大型の細胞を指す。

この細胞にはライソゾームという顆粒があってそこで異物を消化し解毒する。

ところがこの食細胞は異物を食ったからと言って殺せるとは限らない。そうすると食細胞は細胞膜に旗を立てて、「俺を撃て」と宣言する。

そうすると細胞性免疫が出動して、この食細胞を殺そうとする。

この過程は液性免疫の応答と違って、ゆっくり進むが、しつこくていつまでも終わらない。それどころか食細胞という自分の細胞を攻撃するので、自己免疫疾患に移行することもある。

というのが私の理解だ。多分いろいろ間違っていると思うが…

もう一つは細胞が老化すると、自殺遺伝子が働いて、活動をやめて蛋白やアミノ酸に分解されていくという過程がある。

不勉強のため、知識は40年位前で止まってしまっている(しかもほとんど忘れている)が、だいたいこれで細胞死と分解については説明できたつもりでいた。

だから「オートファジー」と呼ばれても、これまでの話との接穂が見つからないのである。

おそらくそれは老廃物の清掃とリサイクルという出来事を、免疫学という色眼鏡を通して見ていたからであろう。

考えてみれば老廃物の除去というのも生命にとって本質的な営みであり、体を異物から防衛するという免疫の働きとは別のものである。

多分免疫は華々しく闘うのに忙しい軍人さんだから、清掃などいうのは二の次で、屑屋か汚穢屋なみに見下していたに違いない。

しかしどちらが生命にとってより本質的かといえば、排泄のほうだ。老人施設で働くスタッフの一人としては、「食う・寝る・出す」が生活の三要素だ。免疫はそれを軍事用に転用しているにすぎないのだ。

オートファジーには病的意味はなく、我が家の毎日のお掃除みたいなものだろうと思う。リサイクルなどというのは派生的なものだ。そういう洒落たことを言う前にこのゴミ屋敷なんとかしろよ。断捨離、断捨離、


今後の課題(私の)だが、医学用語ではなく生物学の文脈の中で、系統発生的に理解し直さなくてはならないのではないか。

ということまでは理解できたが、各論はいずれまた